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2012年06月02日

与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」

与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


月をまたいでしまってごめんなさい。
遅ればせながら、「ネコ灰だらけ」のメインテーマの一つである与那覇歩さんのライブレポートをお届けします。
5月12日、おなじみの京都木屋町の大新さんでのライブです。

ギターサポートの謝花綾乃さんが既にこのユニットを卒業したのですが、お世話になった関西の皆さんへのご挨拶をしなければならないということで、歩さんが急遽綾乃さんを連れて来たわけです。
お客さんがみんなコアなリピーターばかりで、観光客が多い那覇の「金城」よりも、もっとホーム感が漂っています。ネーネーズ時代からの追っかけの小生ですらこの一体感漂う雰囲気の中に座っていると、疎外感を感じてしまうくらいです。綾乃さんの卒業を惜しむ声、励ます声。終始暖かく、そして熱かったです。

綾乃さんに関しては、前回のレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」で激励とともに総括させていただきましたので、今回は別の観点で書かせていただきます。ご容赦願います。

経時的に記述して行くことが多い小生のライブレポですが、いつもと趣を変えて、この日のセットリストから書いてみましょう。

1stセット
 1)西のサンアイ~どぅなんちま
 2)島々美しゃ~十九の春
 3)月の美しゃ~どぅなんスンカニ
 4)ファムレウタ
 5)平和の琉歌
 6)島んちゅの宝
 7)安里屋ユンタ~あしびな

2ndセット
 1)国頭サバクイ
 2)てぃんさぐの花
 3)三線の花
 4)いつまでも沖縄
 5)童神
 6)花
 7)いろんな色
 8)朝花
 9)ひやみかち節~カチャーシ

アンコール
 1)愛燦燦
 2)サプライズ:彩乃の夢をあきらめないで

綾乃さん卒業の事情もあって、サプライズ曲以外はおなじみの曲が並びました。
しかし、3人の演奏では初めて聴く曲や、テンポを大幅に変えた曲、アレンジや歌い方を微妙に変えた曲、そして、綾乃さん卒業にあたってのご挨拶やサプライズ企画など、全体としては変化にとんだライブになりました。

特に、歩さんのソロとして聴いたことがあった与那国の古謡「西のサンアイ」のしみじみとした味わいや、「国頭サバクイ」の力強いグルーブや歌唱は、3人の演奏によって、違う魅力で迫ってきました。

大城健氏書き下ろしのオリジナル曲「いろんな色」も綺麗で安定したメロの秀作でした。
4月に那覇に行った日が、この曲の新曲披露の日だったと記憶しています。ところが、小生は急遽金城を出てしまい、この曲を聴きそびれたのですが、実は酔っ払う前にリハでしっかり聴きチェックしておりました。
その時と比べると、テンポをぐっと落とし、アメリカンポップスのような軽妙なコーラスワークを聴かせる曲から、メインボーカルをじっくり聴かせる曲へと変貌を遂げていました。

そうすると、大城氏が気持ちを込めて書いた歌詞もしっかり伝わってきます。
1番の冒頭から、沖縄の花(デイゴ・ユリ)の色、海の色、空の色、雲の色などを羅列し、鮮やかで混ざりけのないイメージを聴衆の頭の中に描かせます。
そして、人の色もいろいろあるけれど、常に偽りのない純粋な心、気持ち、行動で生きて行きたいと、花や海や空のイメージをオーバーラップさせながら2番以降を展開していくのです。なかなかうまい構成です。

沖縄本島より鮮やかな色のイメージがある八重山(与那国)出身の大城氏の作品だから、より説得力があります。
もちろん、同じく八重山出身の歩さんの歌もハマリまくりです。音でありながら視覚効果を強烈に刺激する恐ろしいほどの表現力で、いつもながら凄いの一言です。
同じく八重山出身の恵美さんのサビにおける高音パートも切な過ぎて、まさに歌詞のような彼女の混ざりけのない純粋な気持ちが、聴く者の心をジンと打ちました。(実際に純粋かどうかは小生は知りません。笑)

こういう曲を聴きながら想像を膨らませていくと、ミュージシャンだって実にいろんなジャンル、タイプの人がいるけれど、ジャンルや技術を超越して、最後に人の魂を揺さぶるのは、純粋な歌心ではないかしらと思ってしまいます。余計な邪心や野心があっては、ミュージシャンは長続きしませんね。偽りのない純粋な気持ちで歌っていれば、ファンは着実に増えていくと思います。

ということで、綾乃さんは卒業して、ポップスの分野に進み、残った二人はまた新たな方向を模索していくわけですが、「いろんな色」があるのは当然。下に覚えている歌詞の一部を書きますが、3人とも是非この想いで頑張っていって欲しいと思います。

 「想う心
  口ずさむ歌
  あなたへと続く道
  届けたい私色
  守りたい色
  偽りのない色をあなたに届けたい
  心の中にある素敵な色だけを」


さて、ライブレポは、一旦場面を替えて後半戦へ。

深夜12時近くまでライブがあったため、もう電車がなくなり、その日は京都泊。
次の日は、祇園の円山野外音楽堂で行われていた沖縄本土復帰40周年イベント「沖縄に連帯する 5・13京都のつどい」に出かけました。
1972年5月15日に、沖縄が日本に復帰してもう40年が経とうとしています。

反戦唄者大城敏信さんの歌や、金城康子琉舞道場の踊りを観た後、お目当てであった前々沖縄県知事大田昌秀さんの講演がありました。

与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」

沖縄問題に関心を持っている身としては、メディアを通じてしばしばお目にかかる人で、つい1週間前にもラジオの深夜番組で長いインタビューを聴いたところでしたが、実物に会ったのは初めてです。喋りっぷりは非常にしっかりされていて、とても86歳には見えません。ある種の怒りが今の大田さんを支えているのかも知れません。

講演の内容は、大体いつも聞く内容と同様でした。(最後のサプライズを除いては)

師範学校の生徒だった10代の頃に徴兵された大田さんは、沖縄戦で米軍に追い詰められて、多くの仲間達とともに摩文仁の崖から海に身を投げましたが、九死に一生を得ました。
そして、住民を守るはずの日本兵が、なぜ1000人以上もの沖縄の住民を殺さなければならなかったのか、なぜ10万人以上も島民が戦争の犠牲にならなければならなかったのかとの疑問から、反戦活動に人生を捧げてきました。

そして、沖縄戦の時も現在も、沖縄は本土の「捨石」であると結論づけます。
沖縄の本土復帰とは何だったのか。
アメリカ軍の占領下で土地を接収され人間扱いされてこなかった島民が希求した「平和憲法」への復帰ではなく、「日米安保条約」への復帰にしか過ぎなかったと。
基地を固定化し、基地の建設・維持費用を日本に持たせるための復帰だったのです。

4千体もの遺体は埋まったまま、不発弾の処理にはあと80年かかる、基地の騒音、飛行機の墜落事故、米兵による少女を含む暴行事件、核兵器の格納、アジアの戦争への出撃。
沖縄島民にとって、戦争は終わっていません。
どころか、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と沖縄から兵士、兵器が送り込まれ、今なおアジアの戦争に沖縄が加担する現実。沖縄戦で亡くなった人は20万人ですが、沖縄の基地が加担してアジアで中東で亡くなった人たちは数百万人になるでしょう。戦地の人たちから沖縄は、兵士・兵器がやって来る「悪魔の島」と呼ばれています。

一体何のための基地?誰のための基地?少なくとも沖縄のための基地ではないはずです。
基地経済が沖縄経済に占める割合も5%まで低下しています。もはや基地がなくても経済的には問題ありません。

それなのに1兆円以上の建設費と、普天間の90倍の年間維持費をかけて、辺野古に新基地を作ろうとしています。国民の税金負担も、沖縄の歪も飛躍的に増大していくでしょう。

冷静に講演をされていた大田さんの声がどんどん大きくなって行きました。そして、小生にとっては、サプライズのフレーズが飛び出し、血の気が引きました。

「100年間沖縄人は人間扱いされず、モノ扱いされてきた。マジョリティの目的を達成するための手段にされてきた。政治的な取引の具にされてきた。
日本にとって一体沖縄とは何なのか?真剣に問い直してもらいたい。
もう我慢がならないということで、沖縄には若者を含めて、日本からの独立論が高まってきている。」

復帰記念のイベントの日に独立論が飛び出すとは思いませんでした。
「いろんな色」風に言えば、大田さんが思う沖縄の現状は、絶望の「黒」で間違いないでしょう。正直なところ、小生の沖縄のイメージも血の「赤」です。ヤマトンチュが憧れる海の青も空の青も、小生にとっては血の赤の前に無力です。

大田さんの独立論を聞いて、昨晩の歩さんの歌が小生の頭の中にフラッシュバックしました。
歩さんは、本土復帰40周年の平和行進が与那国島から始まったとMCで説明して、「平和の琉歌」を歌い始めました。

サビの頭「青いお月様が泣いております。」の青い月とは何なのか?月といえば、黄色か橙。
悲しみの象徴としての「青」なのでしょう。
「いろんな色」の歌詞の明快さから見れば、純粋ではない、複雑な思いがミックスされた青。

小生は桑田圭祐をシンガーとしてもソングライターとしても全く評価しておりませんが、この曲は評価できます。掘り下げは大アマですが、メジャーから発信するという立ち位置を考えれば、次のような歌詞は拍手喝采ものです。

「この国が平和だとだれが決めたの
 人の涙も渇かぬうちに 」
「民を見捨てた戦争の果てに」
「人として生きるのを何故にこばむの 」
「未だ終わらぬ過去があります 」

大田さんのように、沖縄戦から現代までを空の上から俯瞰した結果の悲しみの青。月すら悲しむ青。
そして、それを本当に悲しそうに歌う歩さん。

この歌の一番の仕掛けは、3番のウチナーグチに仕込まれています。大田さんの「独立論」に勝るとも劣らない沖縄からヤマトへのパンチが仕込まれているのです。
この部分の作詞は、歩さんの師匠の知名定男によるものです。

「御月前たり 泣ちや呉みそな  
(お月様、泣かないでください)
 やがて笑ゆる節んあいびさ  
(やがて笑える時が来ますよ)
 情け知らさな この島の  
(情けを知らせたい この島の)
 歌やこの島の暮らしさみ 
(歌はこの島の暮らしです)
 いつか咲かする愛の花  
(いつか咲かそう愛の花)」

一箇所を除くほかの部分は、基本的に桑田の歌詞の直訳になっています。問題の部分は桑田の歌詞にはありません。
「情け知らさな この島の」
このフレーズの意味は、大田さんの表現を借りれば100年もの間、沖縄がヤマトのために我慢してきたその情けをヤマトの連中に知らせたいということに他なりません。
ヤマトンチュの桑田からは決して出てこない歌詞です。

そして、大田さんがおっしゃる「捨石として棄民としてもう限界が来た。ヤマトの連中は島の情けなど分かるはずがない。だから、日本から独立した方がいい。」というロジックにつながるわけです。
「日本にとって一体沖縄とは何なのか?真剣に問い直してもらいたい。」という大田さんの叫びを我々ヤマトンチュは、40周年を機にもう一度噛み締めなければならないでしょう。


小生、円山音楽堂を出て、京都東山の混ざりけのない鮮やかな緑の中を歩きましたが、歩さんの歌う「情け知らさな この島の」というフレーズが頭の中をリフレインして、闇のように黒い思いから抜け出せませんでした。



【京都・東山の緑色】
与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


与那覇歩ライブレポ「いろんな色と青い月」


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