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2011年08月06日

中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」

7月21日、音楽評論家の中村とうよう氏が自殺しました。
息が止るほど驚きました。小生の音楽人生において、最も影響を受けた人物のうちの一人だったからです。

どれくらい影響を受けたかの事例を3つばかり挙げます。
一つ目。
とうよう氏が1969年に創刊した音楽雑誌(ニュー)ミュージック・マガジン(略称MM誌)を、小生は1971年から40年間1号も欠かさず購入している。(最近は積読でしたが。)
二つ目。
小生が生涯において最も好きなミュージシャンを100人挙げるとすると、ユッスー・ンドゥール(セネガル)、フェラ・クティ(ナイジェリア)、ヌスラト・ファテ・アリ=ハーン(パキスタン)、エルフィ・スカエシ(インドネシア)など、MM誌を通じてとうよう氏に薦められたミュージシャンが、7割以上を占める。
三つ目。
小生の高校時代。とうよう氏、並びに、当時朝日新聞記者だったジャーナリストKH氏に憧れて(この人のことはその後嫌いになりました。)、彼らが出た大学に入った。

ラテンやブルースやフォーク中心のMM誌初期の頃は、小生はあまりに若輩で、記事や音楽を理解できていませんでした。しかし、70年代末からの怒涛のワールドミュージックムーブメントの頃には、小生も分別がつき、とうよう氏の紹介記事を読んでは、当時日本で唯一の(と思いますが、小生が知らなかっただけかも)CDメガストア六本木WAVEあたりに、相当な資金とエネルギーをつぎ込んでLPやCDを買いに出かけたものでした。
本てぃーだブログがらみで言えば、80年代末からMM誌に喜納昌吉やネーネーズやりんけんバンドが紹介されたのが、小生と沖縄音楽の出会いとなりました。(そして、時を経て与那覇歩の追っかけとなる。)

とうよう氏は、MM誌やラジオを通じて、世界各地の素晴らしい大衆音楽を、世の中に広く紹介しました。その功績や影響はあまりに絶大であったと言う意外に言葉が見つかりません。
しかし、10年ほど前に社長・会長職を務めたMM誌の経営から身を引くと、残す連載は創刊号から続けていた見開き2ページのエッセー「とうようずトーク」だけになっていました。そして、2006年には、膨大なレコードや楽器のコレクションを武蔵野美大に寄付していました。今思えば、80歳を前に人生の精算の準備をしていたようにも思われます。


とうよう氏が亡くなる前後2週間、小生の身の上に、とうよう氏がらみの不思議な出来事が連続で起きました。
まず紹介するのは、とうよう氏自殺の前日のことです。
とうよう氏がMM誌をリタイアするのと時を同じくして、小生もすっかりCDを買わなくなり、ライブ観戦に軸足を移していました。本屋から配達されるMM誌は、透明なポリ袋に入ったまま、ピアノの下や居間の片隅に平積みされていました。他の本が間に入って積まれているので、一見ポリ袋が開封されていないことはわからないのですが、ついに鬼妻がそれを発見したのです。そして、ヒステリックに怒鳴りました。
「猫太郎!高い雑誌を何年間も読まずに取り続けてるって、どういうことよ!」
「まあまあ。そう怒らずに。とうよう氏は、あなたより長い付き合いなの。80歳間近のとうよう氏が亡くなったら、MM誌を取るのを止めますから。」
と言った翌日に本当に亡くなってってしまったのです。
発言の後ろめたさと同時に、出来過ぎたタイミングに背筋が寒くなりました。

中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」

そして、その事件と同じぐらい奇遇なのが、とうよう氏と「佐渡おけさ」を巡る事象です。小生の認識の範囲で、とうよう氏と「佐渡おけさ」の間には、これまで何の因果関係もありませんでした。
小生自身もこの民謡をまともに聴いたことがありませんでした。それなのに、自殺の前後2週間、小生の前に「佐渡おけさ」が、閃光のように、2度3度と繰り返し登場することになったのです。


先の記事にある瞽女唄を見に行った日のことです。
出雲崎の古い街を歩いていると、念相寺というお寺の中に「おけさ源流の地」の碑が立っていました。

中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」

案内板とネット検索から、この場所とおけさについて、以下のような情報を得ました。

今から800年ほど前の鎌倉時代に、奥州藤原氏に逗留していた源義経は、兄頼朝の挙兵を聞き、奥州を出ることになりました。藤原秀衡がお供として義経につけた家臣が、「音羽御前」の息子、佐藤継信、忠信の兄弟でした。義経と行動を共にした兄・継信は屋島の合戦で、弟・忠信は京都で討死します。
それを伝え聞いた音羽御前は、奥州丸山から旅立ち、なんとか出雲崎までたどり着きましたが、長い旅に耐え切れず、尼瀬の釈迦堂で二人の菩提を弔っていました。
そこに現れた使いの者から、「二人は立派な最期を遂げた」という詳報を聞き、嬉しさのあまり、袈裟(けさ)法衣のまま、唄い踊ったのが、「おけさ」の始まりと言われています。
越後の各地で「おけさ」と呼ばれ、伝承されてきた唄と踊りですが、大正時代になって、「佐渡おけさ」がレコード化され、哀愁を含んだメロディが、一挙に全国に知られることになりました。

小生にとって、あまりなじみのない「おけさ」。おけさ源流の地で写真数枚をとって、それだけで忘却モードになっていた翌日のことです。
iPhoneのお気に入りのアプリ「Radio box」で、何気なく西アフリカ「シエラレオネ」のラジオ局「African Internet Radio」を聴いていた時のことです。

突然、耳に飛び込んできたのは、ヒップホップアレンジの「佐渡おけさ」でした。
なんじゃこりゃ!!
デジタルビートに日本語の民謡。
しなやかな声は、明らかに鍛えられた民謡歌手のものです。ブラックなグルーブの三味線はブルースやソウルをかじったことがあるプレーヤーに違いありません。

楽曲のご機嫌さ以上に、このシチュエーションに驚きました。
ユーラシア・アフリカ大陸の一番西の端の国「シエラレオネ」と大陸の東の端の国「日本」。
ダイヤモンドを巡る内戦のため世界一平均寿命が短い国「シエラレオネ」と、平和で幸福かどうかわからないけれど、とりあえず世界一平均寿命が長い国「日本」。
正反対のコントラストです。
「さまよ鹿島に神があるならば、会わせ給えや、ヤレ今一度」という承久の乱で佐渡に流罪となった順徳上皇のことを歌った歌詞など日本人でも理解できる人は稀有でしょう。アフリカのシエラレオネで「佐渡おけさ」が流れる必然性とは一体何なんでしょう。

中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」

小生にとっても、昨日知ったばかりの日本の民謡を、今日わざわざアフリカの果てから聞くことになった巡り合わせには驚くばかりです。

iPhoneの画面には、ラジオで流れている曲のCDジャケットが表示されています。「Funky French Flow」とあります。フランスのダンス音楽ミュージシャンのようです。
iTuneで検索。1曲100円。ダウンロード。

小生、この作業をしながら、失礼にも思ってしましました。
「こうやって、簡単に世界中の音楽が聴け、簡単に世界中の音楽が購入できる世の中になった。付随する情報もネットから瞬時に入手できる。もう、MM誌も中村とうようも要らないな。」と。
ごめんなさい。本当にこの時そう思ってしましまったのです。


数日後、開封しないで山積みになっていたMM誌騒動と、当のとうよう氏の自殺が起きました。
小生、不気味な連鎖に、居ても立ってもいられなくなり、人生の師匠というべき人の弔いに出かけることにしました。武蔵野美大(ムサビ)で開催されている「中村とうようコレクション展」に行き、その足で、自宅マンションから飛び降りたその現場に行き、手を合わせてこようと。

中央線で国立まで行き、タクシーに乗りムサビの正門前に着きました。
キャンパスを数分歩いた突き当たりの学内美術館で、展覧会は行われていました。先に書いたように、とうよう氏がムサビに寄付した膨大なレコードや楽器のほんの一部を公開したものです。この展覧会の会期中に、とうよう氏は自殺したことになります。

中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」


中村とうよう氏の自殺「おけさの連鎖」

正面玄関は別の美術展が行われており、隣の小さな会場の白い扉を開けた瞬間のことでした。小生叫びました。

えー!やめてくれよ! なんでここまでついて来るんだ!!

入り口正面の目の高さに、そのピクチャーレコードが飾られていました。
佐渡・相川立浪会の録音による「佐渡おけさ」のLPレコード。
他のレコードやジャケットは、全て小生が40年間MM誌で見かけ、購入もしてきたロバート・ジョンソンやカルメン・ミランダやデティ・クルニアや鄧麗君やハリス・アレクシウ等なじみのものなのに、なぜ正面入り口だけがMM誌と無縁の「佐渡おけさ」なのか?
とうようさん説明してくれ!

小生、せめて自殺現場で手を合わせたら、この真綿で首を絞められるような閉塞状況を払拭できるかも知れないと思い、急ぎ足で立川の自殺現場に向かいました。
住所が新聞に出ていたので、町内まで行き、後は聞き込みをしながら、マンションに辿り着きました。10階建てのマンションの8階からとうよう氏は飛び降りました。
マンションの下を一周すると、飛び降りできそうな場所は、西側の駐車場前のスペースしかありません。とうよう氏はおそらく西側ベランダから、あたかも標的のように丸く黄色に縁取られた車の向きを変えるターンテーブル目がけて飛び降りたものと思われます。
その場に立って合掌すると、まさにLPレコードを乗せたターンテーブルが回るがごとく小生の頭の中に音楽が流れ始めました。
因縁の「佐渡おけさ」でした。
それを聴いて、小生の脳裏に浮かんだのは、なぜか、とうよう氏のことではなく、おけさ踊りを始めた「音羽御前」のことでした。

「(息子)二人は立派な最期を遂げたという詳報を聞き、嬉しさのあまり、袈裟(けさ)法衣のまま、唄い踊った。」と新潟県のHPにありましたが、生存に一縷の望みを持っていた息子二人が死んだと聞いて、喜んで唄い踊る母親などどこの世界にもいないでしょう。
音羽御前が、唄い踊ったのは、息子を失い、絶望のあまり気が狂ったせい以外の何ものでもないはずです。「佐渡おけさ」は出発点においては、絶望の唄であり踊りなのです。

とうよう氏の絶望が何であったか、Dieing Messageを含むが如く、唐突に展覧会の入り口正面に掲示された「佐渡おけさ」からは伺い知ることができませんでした。



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この記事へのコメント
佐渡おけさにしても、ミュージックマガジンにしても、かなりキツい偶然ですね……。

ユッスー・ンドゥール、ヌルラット・ファテ・アリ・ハーンあたりは、私もとうようさんの影響で聴くようになりました。
シーサーズのブログにも書いた、アフリカ音楽も、その流れで聴くようになったと記憶してます。
で、african internet radio、私もよく聴いてます、仕事中に(笑)。なんか、テンションが上がっていいんですよね。

それにしても、とうようさん。用意周到に死ぬ準備をして、実際にやり遂げてしまうなんて、そんなに深い絶望感を抱いていたんでしょうか。嗚呼、人生って……。
Posted by 千秋 at 2011年08月06日 21:28
>千秋さん

ある意味とうよう氏の役目が終わったっていうことは、ご本人が一番分かっていて、寂寥感があったのではないかと推察しますが、全ては闇の中です。

千秋さんも結構アフリカンなんですね。
african internet radioで知った最近のお気に入りは、スーダンのrasha。ヘビーローテーションですわ。三線のルーツ(?)、ウードがグー!
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2011年08月07日 23:15
人生って素敵だなって感じました。
いろいろ神秘的なストリーが偶然ではなく必然的にあります。
実はとうようさん事件の翌日フジロックの主催者と一緒にいる機会があって、一度とうようさんに見に来てほしっ方と痛切に嘆いていたのでどんな方かとネットサーチでこのブログにあたりました。ご冥福と素敵なブログに感謝を申し上げます。
Posted by kinta at 2011年09月12日 21:39
>kintaさん
場末のブログにお越しいただきありがとうございます。気がつかず返事が遅れて申し訳ありません。
今年フジロックの商業主義云々の議論があったように聞いていますが、おそらくはとうよう氏が好まない類いのイベントではないかと推察します。だからこそ、主催者の方々が一度来て欲しかったのだと思いますが。
小生はとうよう氏よりは、もう少し柔軟だと思いますので、また機会を見つけて行ってみます。
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2011年09月16日 10:55
はじめまして、
「中村とうよう」の検索で辿りつきました。《息が止る》に始まり、佐渡おけさのオチ(のオチ)まで読み進め、胸がいっぱいになりました。
言いたい放題が飛び交うネットの中で、氏を追悼することは容易ではないと思いましたが、とてもいい、読ませる文章をありがとうございました(鬼妻の効果も絶大です、失礼)。
貴ブログ、また寄らせていただきます。
Posted by 御願不足 at 2012年02月08日 13:56
>御願不足さん

返事が遅れてすみません。
1ヶ月近くサボっておりました。

お褒めの言葉、ありがとうございます。
かなりまじめに書いております。

結局鬼妻に言ったように、ちょうど40年間とっていたミュージックマガジン氏の定期購読をやめてしまいました。小生にとっても、人生の節目となる出来事でした。
よりストイックに生きていかねばと思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2012年02月19日 00:37
猫太郎さま

突然のメール、失礼致します。

本日、いつものようにPCを開き思いつくままにネットをしていたらこちらのサイトに辿り着きました。

さて、いきなりですが本題に入らせていただきます。
2011年8月6日の中村とうようについての記述、一部の写真の削除をお願いできないでしょうか?
何故このようなお願いをするかというと、私はこのマンションの居住者です。
googleで『中村とうよう』と検索すると2012年3月27日現在、四番目にこちらのサイトに辿り着きます。

ご検討の上、こちらのメールアドレスまでご回答をいただければ幸いです。
Posted by kazu at 2012年03月27日 00:56
>kazu様

ご迷惑をおかけしたこと、謹んでお詫び申し上げます。
最後の2枚を削除いたしましたので、ご容赦いただければ幸甚に存じます。
真摯な気持ちで記事を書いておりますが、配慮の至らなかった点、反省いたします。
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2012年03月27日 02:07
猫太郎様

迅速な対応、ありがとうございます。
直接迷惑を蒙ったわけではありませんが、今後何か不都合が起きうるのではないかと考え、削除依頼をさせていただいた次第です。
削除依頼もどのようにお伝えしてよいか迷いましたが、すぐに対応していただいて感謝しております。

亡くなる一週間程前にご本人と一階ですれ違った際、少しお話をさせていただきました。
昔、MMを読んでいた事などもお伝えしたのですが、ただ静かに微笑んでいるだけでした。
舌鋒鋭かった評論家も、人生の終盤はこのようにもの静かな老人になるのか、と感じた事を覚えています。
そして、このマンションのほとんどの住人の方々は中村とうよう氏が何者であるか、知らなかったようです。

最後に、もし不都合がありましたら、この削除依頼の一連の私のコメントも消していただいて結構です。

長々と失礼致しました。
Posted by kazu at 2012年03月27日 14:30
本名が大橋仁実オオハシヒトミと申します、
60才です。昔、レコード芸術と、スイング
ジャーナルとステレオサウンドを購読して
いました。MMは立ち読みしたことがある
程度ですが、今日の朝刊の最終面に、
デザイン評論家の柏木博さんという人が
『バカヤロー事件』というタイトルで、
とうようさんの想い出を記しているので、
このブログにたどり着きました、感激のあまりというと
大げさかも知れませんが、有難うございました。
Posted by 大橋仁実 at 2013年10月05日 14:53
こんにちは。とおりすがりの者です。といいいますか、今、丁度ムサビさんで再び中村とうようコレクション展を開催していまして、私は近隣に住む利から偶々それを観て、その後検索をしていてこちらの記事に逢着致しました。中村とうようさんについてはお名前ぐらいしか知りませんでしたし、私自身は音楽に特に詳しいものではありません。記事を拝読した短い感想を記してみたいと思いました。

おけさの連鎖のお話、たいへん興味深く拝聴致しました。私が思ったのは、ブログ主さんがやはり、とうようさんの感性を共有され、長き年数を育まれこられたゆえに、とうようさんのその折々の現在や感覚にとても近い所にいらした、それゆえに、さまざまのシンクロが起こっていたのでは…などと素人ながらに想像致しました。

佐渡おけさについてはあらためて少し調べたり聴いたりしてみましたが、この曲の存在が私に連想させたことは、とうよう氏のお生まれになられた所はやはり日本海側に近い丹後の方とありましたので、丹後地方の民謡ということがひとつのリンクとして浮かびました。天の橋立を詠いこんでいる宮津節という民謡を見つけ聴いてみました。ご存知かもしれませんが、このような曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=vPZHS80p2Go

直接のつながりは判りませんが、私は一つのヒントのようなものかなとは自分なりに思いました。

あと、ご記事の中で、音羽御前のことをお書きになっていましたが、私はその記事を拝読して、少し違うことを想像しました。子息二人の今はの際の詳細を聴いたときには、御前はすでに「尼瀬の釈迦堂で二人の菩提を弔って」いたとありますので、二人の死のことはもちろん知ってはいたが、その最後の時の様子、みごとな活躍ぶり、恥ずかしくない最期を遂げられたその様を具にありありと伝え聞いて、その話を介して今ひとたび二人に再会することができた、またすべてのさまを伝えられてあらためて心から誇りに思うことができた…それゆえの喜びであったのではなかったでしょうか。もう思い残すことはないという、そのような舞ではなかったかと私は思いました。…史実がどうであったかは全く想像の外ですが、少なくとも物語としてはそのような場面であったのではないかということを思いましたが、能楽の台本、謡曲にシテの舞う場面としてしばしばそのような、「使者から伝え聞くことばによって、間接的に、焦がれた死者と再会し随喜の涙をこぼし、舞い踊る」といったシーンが顕われるような気がするからです。

ですから、私は詳細をひもとき、解読するようなことはもちろんできませんが、佐渡おけさが何回もリフレインした…というそのことの中に、ブログ主さんが、永の時のあいだ、師と仰がれて来られたとうよう氏と、「再会」されていたことを象徴しているかのようにも、私には感じられて来るかのようでした。

つまらぬど素人の感想です。おけさや宮津節を聴きながら、あれこれ思いさ迷ったことを書きつけてしまいました。失礼致しました。

音楽について自分は全く素人ですので、瞽女さんの記事ですとか、他の記事も拝読させて頂ければと思っております。ありがとうございました。ちなみに、今ムサビさんでやっている、とうようコレクション展は8/16までです。より広いスペースで、楽器、蓄音機、大オルゴールなども展示され、展示されているレコードからリクエストを掛けて下さったりもして、とてもすてきな展示だと感じました。もし御機会あれば。では、失礼致しました。
Posted by river at 2015年07月24日 21:45
 
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