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2012年04月24日

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


4月13日4ヶ月ぶりに沖縄に行きました。
仕事関係者からも音楽関係者からも、はたまたホテルのフロントのオネエさんからも、異口同音に同じ挨拶、「お久しぶりです」。
その通りなんですが、小生はこう見えて、この数ヶ月間大変忙しいのですよ。ブログのインターバルも開きっぱなしです。お久しぶりです。

朝一のフライトで那覇空港に着き、ゆいレールを県庁前駅で降りると、交差点で琉球新報の号外が配られていました。号外を受け取る通行人を撮るNHKのテレビカメラやインタビュアーもいました。

小生も号外を受け取り、モスバーガーに入って紙面を見ると「北朝鮮ミサイル発射失敗」の見出しが目に飛び込んできました。
やれやれです。
「何万分の一か知らないが、ものすごく低い確率のことで大騒ぎして何事なの。」
というのが小生の率直な感想です。
連日のニュースを見ていると、これほどのバカ騒ぎは、「だから基地が必要だ」とか、「だからミサイルの配備が必要だ」とか、「だから軍事費の増大が必要だ」とかいう錯覚を沖縄県民を始め日本国民に植えつけるのが真の目的なのではと勘ぐってしまいます。

号外を読み終わり、今度は店内に置いてある琉球新報の朝刊を持ってくると、号外と同じ字体で一面に「オスプレイ墜落」の見出しがありました。
モロッコでのことですが、人ごとではありません。
ヘリコプターと飛行機の両方の形状と特徴をあわせ持ったこの航空機は、試作段階から世界のあちこちで墜落事故を起こし、別名「空飛ぶ棺桶」、「未亡人製造機(=パイロットが死んでしまうので)」などと呼ばれています。
人ごとではないと言ったのは、オスプレイが今年普天間飛行場に12機配備され、最終的には24機配備される計画があるからです。
周辺の人口密度が高く世界で最も危険な飛行場に、世界で最も危険な飛行機を配備しようものなら、それこそ北朝鮮のミサイルの数万倍も危険な事態といっても過言ではないでしょう。
号外と朝刊、二つの琉球新報を読んで、小生は暗い気持ちでその日の仕事に向かったのでした。

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」

翌日ホテルのバイクを借り、もう何度も行っている南部戦跡を巡り、ついでに自衛隊の知念駐屯地にも足を伸ばしました。ここには、万一の場合に備え北朝鮮のミサイルを迎撃するために急遽運び込まれたPAC3(パトリオットミサイル)が配備されています。ミサイルは見えませんでしたが、ミサイルを警護する若い自衛官達の姿を見ることができました。正門の前を何度もバイクで通ったり、林の中のフェンスの近くをうろうろしている小生を見つけた職務に忠実な自衛官が無線連絡をし始めたのを見て、小生は退散しました。(別に法律違反は何もしてませんが。)

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」

小雨の中ホテルに戻ってシャワーを浴びて、いざ与那覇歩ライブへ。ライブハウス金城に一番乗りして、泡盛を飲んで出来上がっていると、歩さん登場。
ここ2日間で20回目の「お久しぶりです。」
彼女がネーネーズを辞めてソロで復帰してからの関西ライブには、2010年1月の1回目からか全て足を運んで来たのに、ここ2回は行けませんでした。ごめんなさい。お久しぶりです。
少しだけ立ち話をすると、歩さんがソロになってからバックでギターを務めて来た謝花綾乃さんが今月でサポートを卒業して、ソロ活動に専念するとのこと。

びっくりすると共に、歩さんが突然ネーネーズを辞めた時のことを思い出しました。2009年のことです。春にメンバー二人が入れ替わったヤングネーネーズを東京で見て、盆休みに那覇に見に来たら、
「歩ネーは、ソロ活動をするため先月末で卒業しました。」
と、上原渚さんのMC。かつてはその横に歩さんが立っていました。

通常行われる卒業ライブやツアーもなしとのこと。あれほどの若手唄者に何があったのかずっと気にしていると、半年ほど経ってソロとしての復活ライブを京都で見ることができました。そしてその2~3ヶ月後に、ギターの謝花歩さんとお囃子の早田恵美さんがサポートで合流。現在まで続く形が出来ました。

歩さんがなぜネーネーズを辞めたのか、詳しくは知りませんが、それに関連すると思われるMCが時々なされます。
「決められたステージで毎日与えられた唄を歌うより、ソロになって島の唄や自分自身を表現できる唄を歌いたかった。」
つらいこともそれなりにあったでしょうが、それよりも自分の夢や希望を追い求めて、リスクを覚悟である意味安定した唄者の立場を捨てる決意をしたのでしょう。

綾乃さんも、歩さんのサポートとして数々の勉強や、日々楽しい経験をしているに違いありません。しかし、民謡よりも自分が追及するポップスの道に専念したくて、2年間勤めた歩さんのサポートを卒業することにしたのでしょう。思い切った心意気に胸を打たれます。
「今日は特に綾乃さんのギターをしっかり聴かなくちゃ」と小生は気合を入れ直しました。

ライブが始まりました。
4ヶ月ぶりに聴く歩節。
実力+個性。いつものように怒涛の迫力とガラス細工のような技巧です。凄い、凄い!
それを支えるエモーショナルなギターとコーラスワーク。感心、感心!

綾乃さんのギターのプレーは、この2年間でかなり上達したと思います。
彼女のブログを見ると、3度の飯よりギターが好きという感じです。「好きこそ物の上手なれ」ですね。
特にアルペジオが絶品。
タメと抑揚、ここぞという場面でのピンポイントのアクセント。かなりのセンスです。
ピックをくわえる姿や、イコライザーやピックアップをこまめに切り替える姿も印象的。一生懸命さとギターにかける情熱が伝わって来ます。

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」

カッティングやリードや複合技はほとんどなくて、基本はアルペジオとストロークだけですが、ストレートとスライダーしかなくても絶妙なコントロールで打者を抑えて行くピッチャーのように、絶妙に聴衆の心を捕らえて行きます。
「アンディ」と名づけたTakamineのギターとの相性も抜群。綾乃さんの気持ちのこもったプレーを、アンディが豊かな音色で忠実に奏でます。
「涙そうそう」や「花」の切ないアルペジオ。
「ファムレウタ」や「童神」のメリハリの利いたアクセントとブレイク。
「朝花」の大きなうねり。
心の琴線に触れるプレーをするいいギタリストですわ。

ギターを弾きながらのコーラスも秀逸です。今はどちらかというと恵美さんの比重が高まってはいますが、綾乃さんがコーラスに加わると音がぶ厚いです。
ファムレウタでは下メロを担当。眉間にシワを寄せて低い声を出す綾乃さん。力強いメロの迫力が一段と増します。
この日は披露しませんでしたが、例えば「与那国小唄」のようなアップテンポな曲でのシンコペの合いの手もご機嫌です。リズム感がいいのでしょうね。

綾乃さんのギターとコーラスがなくなると寂しくなるなと思う反面、歩さんがかつて思ったように、綾乃さんの胸の中で大きくなった自分の表現をダイレクトに聴衆に伝えたい情熱を止めることはできません。
夢を追い求めて卒業する綾乃さんを祝福してあげたいと思います。

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


2nd setまで彼女達の歌と演奏を聴いて、もう一人6月に卒業する人という人を思い出しました。歩さんが卒業した後、ネーネーズを支えてきたすぐ下の後輩、上原渚さんです。

小生のブログでネーネーズの記事が炎上して以来(ヒステリックなご批判は全て消去させてもらってますが)、1年以上ネーネーズを見ていませんでしたが、それまでは金城と同じくらい島唄に足を運んでいました。

歩さん卒業後、ネーネーズでの小生のお気に入りは、上原渚さんでした。他のメンバーが、器用でそこそこ上手いけれど、こじんまりまとまってしまっているのに対し(また炎上か?!)、渚さんは、オールマイティではないけれど、ブルージーなハスキーボイスを持ったオジサン受けする個性派の唄者でした。MCもオジサン受けします。

歩さん卒業後のネーネーズを支えた渚さんと、ソロになってからの歩さんを支えた綾乃さんが、同時期に卒業するとは、奇遇なものを感じました。
そう思うと、今後ネーネーズとして会うことがないかもしれない渚さんに、今日挨拶をしておきたくなりました。
歩さんと綾乃さんに、「すみませんが、また関西ライブに行きますので、今日はこれにて失礼します。」と行って、小生は島唄の3rd setへと走りました。

このsetは、「テーゲー」や「余所の人」など小生の好きなネーネーズのナンバーが目白押しでした。
そして、なんとラッキーなことでしょう!
渚さんがソロをとる曲はネーネーズの曲の中でたった3曲しかないのに、その中でも最もソロパートの長い「国頭サバクイ」を最後の曲として歌ってくれたのです。
やっぱりカッコいいじゃない!渚ちゃん、今後ブルースかソウルシンガーになったらいいのに!

ライブが終わり、他のお客さんが帰るのを待って、出口付近で渚さんと話をしました。
本日21回目の「お久しぶりです!」
ホントにお久しぶり。

「これからどうするの?」と訊くと、
「唄は続けますけど、○○になりたいんです。」
「何年間もネーネーズで歌ってきて、オジサン(=小生)みたいなファンもいっぱいいるのに、○○になるってどういうことよ。」
「○○になるにが昔からの夢なんですよ。」

屈託のない笑顔。
何も偽っていない心からの笑顔。
軽いカルチャーショックを受けました。

ある意味順調に回っている立場、生活を捨てて、夢を追い求め人生のチャレンジをする若者達。
歩さんも、綾乃さんも、渚さんも。
小生などその歳(24~25歳)の頃から棺おけに片足を突っ込んで惰性で生きているようなものなのに。


1時間前に聴いた歩さんのMCがフラッシュバックしました。
「沖縄の綺麗な自然が、沖縄の言葉を、唄を、人間を作ってきました。」
沖縄の自然風土が、夢を追い続けチェレンジする若者を作り出しているかどうかは定かではありません。

それに続いて歩さんが喋ったMCも小生の脳裏に鮮やかに蘇りました。
「しかし、皆さんが見て来た綺麗な自然の沖縄、観光の沖縄は、戦争を体験してきたオジイ、オバアの悲しみの上に成り立っています。どうか沖縄の全てを知ってほしいと思います。」

20万人が苦しみ、悲しみの中で死んで行った沖縄の地上戦。
沖縄の歴史を語る上で忘れてはいけない忌まわしい出来事でしたが、その悲しみの連鎖は場所を変え今も続いているのです。ここ沖縄の基地が関係して、イラクでアフガンで、今日も死者を生み、悲しむ人を生む戦争が続いています。


石油資源がなくアメリカにとってメリットがないため絶対に戦争を起こすはずがないと思われる北朝鮮のヘナチョコミサイル一発で、意図的に大騒ぎして、軍備の強化をあおり、辺野古に軍港を備えた新基地を作る計画を加速する動きが出て来るに違いありません。普天間に配備されるオスプレイも、「危険だから、やはり辺野古に持って行った方がいい。」という論理にすり替えられるかも知れません。
そして、基地の代償としての「思いやり予算」による公共投資で、海岸線ややんばるの森などの沖縄の自然がこれからも破壊されて行くでしょう。


ここ沖縄で自分の夢を追い求めて、今の境遇を卒業して行く若者達の純粋さと眩しさ。それに対して、政治を担う大人達の手垢にまみれた陰謀と策略の醜さ。そのコントラストがあまりに大き過ぎて、目眩すら覚えた久しぶりの沖縄でした。

与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


与那覇歩ライブレポ「ミサイルと卒業のコントラスト」


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