2012年01月07日
与那覇歩ライブレポ「聖夜の祈り」
正月を過ぎて昨年のことを書くのも気が引けますが、バッサリ切るにしても、どうしても3本は書かねばなりません。順不同で、まずは追っかけ与那覇歩さんから。
12月24日、いつもの那覇・金城へ行きました。時おりしも、クリスマス・イブ。
震災以降やや暗めの県庁前駅や国際通りにも、ここぞとばかりあちこちでクリスマスデコレーションが施され、金城店内のステージにも鈴の形をしたイルミネーションが輝いていました。
3人の若い娘がデートもできず、イブの夜に酔っ払い相手の仕事もつらかろうと同情を覚えながらも、9月に来た時の(実は期限切れ)ボトルがタップリ残っていたため、いきなりグイグイあおって、すぐに同情心もどこへやら。酔っ払いオヤジの出来上がりです。
酔っ払っても与那覇歩の凄さは分かりますから、ご心配なく。
長い髪のイメージが強かった綾乃さんが髪を切り、バンダナを巻いて登場。かわいいです。
3人がそれぞれのマイクにクリスマス用のリボンをおもむろにつけて歌い始めました。
中心をなす歩さんの力量満点の歌とサポート二人のハーモニー。機知にとんだMC。いつものように楽しい時間が流れていきます。
今日はクリスマスイブ。彼女達がスペシャルパフォーマンスを用意していないはずがありません。何をやってくれるのかと待っていると、それは2nd set中盤にやってきました。
「クリスマスイブに一回限りの歌です。」と歩さんが高らかに宣言!
「ジングル・ベル」か「清しこの夜」か。
はたまた山下達郎の名曲「クリスマスイブ」か。
大穴はインストで坂本龍一「戦場のメリークリスマス」か。
誤解なきよう言っておきましょう。
小生はキリスト教徒ではありません。よって、クリスマスイブの晩に、クリスマスソングを期待しているわけではありません。彼女達が何をするのかを期待したのです。
飛び出した曲は、小生の想像をはるかに超えていました。
なんと、「初めてのチュー」や「チビまる子ちゃん」などのアニソンメドレー!!
声色を変えて、人間イコライザーまたはボコーダー付き。楽曲としてはムチャクチャ楽しい。しかも、この先二度と聴けないかもしれないライブならでの貴重な体験です。
しかし、なんじゃー!!
クリスマスイブとアニソンとどう関係があるんだ。
歩さんに尋ねると「クリスマスだから、お子さんがたくさん来ると思って。」との答え。
満員の客席に子供は一人しかおらんがな。
しかし、感心したのは、彼女らが予定調和のクリスマスソングを意識的に歌わなかった点です。小生は日本におけるクリスマスの無思慮な空騒ぎに辟易しているのですよ。
キリスト教は、世界に20億人の信者を持つ、地球上で最も巨大な宗教です。反権力志向の小生などは、その歴史を振り返える時、キリスト教こそ、人類史上最悪の宗教じゃないかとも思ってしまいます。
行く先々で虐殺を行った十字軍、根拠のない処刑を繰り返した魔女狩り、宣教師によるラテンアメリカの侵略と文化の壊滅。
中学校の教科書に出てくるこれらの出来事でも、何百万人殺しました?何千万人??
それ以外にも、政治権力と癒着しての殺戮、破壊は数知れず。ナチスの擁護もしましたよね。
しかし、今日はこの話が本論ではありません。むしろ逆の話です。
一方で、キリスト教の信仰が、何億人単位の敬虔な信者の心のよりどころとなっていることも間違いありません。
所詮、人間の心は弱いものです。死に直面するなど絶望の淵を見た人は、宗教にすがる他ありません。死の裏返しの生を意識する時も同様でしょう。
自分とは何か?
どこから来てどこに行くのか?
生命とは何か?宇宙とは何か?
科学がどれだけ進歩しようとも、哲学がどれだけ深化しようとも、生について死について、明確な答えは永遠に得られません。宗教とて正しい答えを用意できないでしょう。
だからこそ、逆に我々は自分の存在の危うさを、目に見えない想像上の神に祈るしかないのです。
キリストも、イスラム教の教祖のムハンマドも、仏教の釈迦も、おそらく心優しきひ弱な青年であったと想像します。彼らは自分の存在自身におびえ、同時にその存在の基盤たる社会を憂えました。いかに心の安寧を保ち、エゴイズムを超克し、その結果みんなが平和に暮らせるようになるのか、そういうことばかりいつも考えていたに違いありません。
宗教がその後どんどん変質し現在に至るのは、多くの宗教演出家達によって、権力と結びついたり、金儲けの道具に利用されてきたからです。
小生が好きな写真家の一人に野町和嘉氏がいます。
10年くらい前に、恵比寿の東京都立写真美術館で「祈りの大地」という写真展を見て衝撃を受け、それ以来機会がある度に、彼の写真展に足を運んでいます。
年末に富山の写真美術館で、野町氏の写真展とトークショーがあるというので、そのためだけに富山に行ってきました。
そこには、国や宗教の垣根など関係がない「生きるための祈り」をささげる人々の写真がこれでもかと掲げられていました。
イスラムの聖地で徹夜で祈りをささげる100万人の信者達。砂漠の中でコーランを読む少年。聖地に向かうために死をかけて雪のアンデス山脈を越えるカトリック教徒。鳥葬にするために幼い子供の死体を解体するチベット仏教の僧。ガンジス川を流れてきた死体を犬が食べる隣で祈りをささげるヒンズー教徒の老人。
クリスマスイブは、キリスト教における聖夜。
キリスト教徒達が、生きるための敬虔な祈りをささげる晩です。
日本のキリスト教徒は人口の1%ですから、大半の人には、関係のない行事のはずです。それを商業主義に乗せられて、無思慮にバカ騒ぎするとはいかがなものかと、小生はずっと思ってました。はっきり言えば、キリスト教に対する冒涜ではないでしょうか。
歩さんは、あえてクリスマスソングを歌いませんでした。理由はどうあれ、小生はそれに大変感激したのでした。
アニソンの興奮の余韻が残る中、歩さんが言いました。
「次の曲を 私から皆さんへの心からのクリスマスプレゼントにしたいと思います。」
彼女が最も心をこめる曲「愛燦燦」。
しみじみとした歌いっぷり。
トレモロとタメの効いた三線。
綾乃さんの繊細なギターのアルペジオ。
恵美さんのほのかな高音パート。
素晴らしい!! 人生への祈りの歌。
表面だけなぞる「清しこの夜」より何百倍も清いです。
続いて、初披露の与那国島の古謡「西のサンアイ」。
サンアイとは、ガジュマルのことです。
その生命力から、沖縄では霊木とされてきたガジュマル。枝の茂みの中には妖精キジムナーも住んでいます。沖縄の人々は、長い間このガジュマルに祈りをささげながら暮らしてきました。
生きていることへの感謝。自然への感謝。社会への感謝。
歌詞の内容は分かりませんが、そのような思いが詰まった歌だということは伝わってきました。歩さんは直感的にそういうことが分かる人だと前から感じています。
キリスト教の祈りも、イスラム教の祈りも、仏教の祈りも、与那国島のガジュマルへの祈りも、みんな一緒です。
この日は日本中、クリスマスデコレーションとクリスマスバーゲン。とってつけたようなクリスマスデート。うわべだけの「ジングルベル」と「清しこの夜」。
聖夜の意味も分かろうとしないでバカ騒ぎしていることが、人生にとって一番バカらしいことだと、敬虔な思いにとらわれた聖夜なのでした。
Posted by 猫太郎 at 22:30│Comments(0)
│沖縄音楽アーティスト
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