2011年10月16日
福島原発ブルース
原発事故以来、福島に行くのは3回目でした。
東北新幹線と山形新幹線が福島で分岐します。つまり、仙台・秋田・青森方面に行くにも山形方面に行くにも福島を通るわけで、このご時勢、震災のみならず原発事故の甚大な被害を受けた福島の復興の一助とするため、仙台や山形に行く時には、必ず福島で降りて泊まって、お金を使うことにしています。
10月頭に福島市に3泊しました。
駅から歩いて5分くらいのところあるブルースライブハウス「なまず亭」に足を運びました。数年前からずっと気になっていたけれど、行けてなかった店です。
以前店の前まで行った時には、地震でビルの内壁が落ちて無残な姿を晒していましたが、数ヶ月を経て、階段や廊下はすっかりきれいになっていました。


中に入ると、薄暗さを含めて、アメリカ南部のライブハウスの雰囲気が広がっていました。小生は、カウンターに座って、ラム酒のロックと「ソウルシチュー」を注文しました。
アメリカの黒人奴隷の料理を「ソウルフード」と呼びます。黒人奴隷は、お金がなく、牛や豚の肉を買うことができなかっため、タンパク源として食べるのは、白人が捨てた牛や豚の内臓や、ネズミやアライグマ等の野生の小動物でした。それらを、野草や畑の片隅で作った豆類と、煮たり炒めたりしたものがソウルフードです。なまず亭版のソウルフードである「ソウルシチュー」は、モツと豆と野菜をチリ(唐辛子)スープで煮込んでありました。
慎重にスプーンですくって、口に入れると、激ウマの味が広がりました。

オーナーのジョニさんは、福島出身で東京の大学を出た後、阿佐ヶ谷で10数年間ブルースライブハウス「ギャングスター」を経営されていたとのことです。その後、家庭の事情で福島に戻られて、この店の経営を10年以上。見た目も語り口もブルースマンです。
カウンターの中には、LPレコード用のターンテーブル3台が並べられ、「ボビー・ブランド」、「レイ・チャールズ」、「バディ・マイルス」、「オーティス・レディング」といったディープなブルースやソウルが次々と流されて行きました。今晩はライブはなくともご機嫌な一夜です。

日本語では、ブルースと発音しますが、正式には「ブルーズ」と濁って発音します。bluesは、blueの複数形。「青」が転じて「憂鬱」「不幸」という意味です。
アフリカから奴隷として連れてこられ、アメリカ南部の綿花畑などで、家畜同然の扱いで働かされた黒人達の憂鬱。それがブルースです。
音楽用語としてのブルースの語源は、1912年にリリースされたW.C.ハンディの「メンフィス・ブルース」と言われています。メンフィスは、19世紀には黒人の割合が6割を超えた綿花の一大集積地でした。
ソウルシチューとラム酒を味わいながら、ジョニさんに「抑圧された者の心の叫び・怨念がブルースですわね。演る方も聴く方も。」
と言うと、ブルースの真髄を極めたジョニさんから意外な答えが返ってきました。
「一概にそうとも言えなくて、喜び、楽しみをリラックスして歌っていることも多いですよ。もちろん恋愛の歌ね。そんなに大げさなものではないです。」
小生としては、黒人奴隷の歴史を起点にして、現代まで連綿と続くアメリカの暴挙に話を広げようとしていた出鼻をくじかれた形になりました。
ブルースと言う事象を、歴史論や社会論で俯瞰するのか、そこに生きていた人達の視点で見るのか両面の見方があるわけで、苦しいか楽しいかの二者択一の議論ではありません。
しかし、ジョニさんの一言により、小生ははっと我に返りました。
ブルースを必要とした人達の人生を置き去りにしたまま、音楽を十把一絡げの社会論だけで語っても仕方がありません。
ブルースの一曲一曲をじっくりと味わい、その歴史の中に身をおいた個々人の顔が見えてこそ、本当の意味での共感が得られ、そこで初めて、社会論を口にする資格ができるのだと。「抑圧された者」という無味乾燥な集合体ではなく、「一人ひとりの顔があり、人生がある。」と表現してもいいでしょう。
そう言えば、小生は8月に広島に見に行った「オノ・ヨーコ展 希望の路」で、評論する側として、同じような気持ちをいだいたことを思い出しました。(同展は本日まで開催されていた模様)
現代美術を通して平和に貢献した人に贈られる第8回ヒロシマ賞をオノ・ヨーコさんが受賞し、「広島・長崎の原爆犠牲者に加え、今年の東日本大震災の犠牲者への鎮魂と未来への希望」を託して、彼女の作品展が行われたのです。
独創性と比喩としての社会メッセージがあふれた作品が並び、驚きの連続でした。その中で、一つだけ気になった作品がありました。
真っ暗な部屋に、広島の街の人々を思わせる高さ1mほどの透明なプラスチック人形が多数並べられています。目が慣れた頃に、原爆の閃光のようなフラッシュが瞬き、狭くなった瞳孔には人形は消え去り、スクリーンに映し出された黒い影と、一体だけ蛍光塗料を塗ってお経が書かれた人形が浮かび上がる仕掛けになっています。
一瞬にして消える人々、高温の熱線によって人の影が転写された銀行の壁、昇天する魂。
原爆投下前後を表現した芸術作品としてのアイデア、テクニックの部分は、感嘆するしかありません。しかし、同じ形の透明なプラスチック人形で、原爆犠牲者を表現し、作品のタイトルは「見えない人々」。
平和祈念公園の原爆死没者追悼祈念館に行けば、亡くなった方々の写真が残されています。非業の死を遂げた人達は、顔も名前もあり、それぞれの人生を生きていた人間であって、決して透明なプラスチック人形のような「見えない人々」ではないのです。
オノ・ヨーコさんの芸術、音楽、そして、夫・故ジョン・レノン氏と長年に渡って行ってきた平和運動は、世界中に大きな影響を与え、もちろん小生も尊敬するけれど、この作品はまずいだろうと思いました。
福島・なまず亭の話に戻ります。
ジョニさんが、明日、明後日と、年に一度の街を挙げての音楽イベントがあると教えてくれました。「福島ミュージックウォークラリー」と銘打ったこのイベント、福島市中の10数ヶ所のライブハウスが時間を合わせて、4セットのステージを行い、観客は一晩1000円でライブハウスのハシゴができて、いろんな音楽を楽しめるという趣旨です。
小生、翌日帰る予定でしたが、もう一泊してこのイベントに参加しました。
スタートは、18時からなまず亭で、「ミッキー&ブルース・ファンデーション」を見ました。リーダーミッキー氏のブルースハープ(ハーモニカ)とヴォーカルが炸裂。
MCで「ブルースの曲の歌詞は、恋愛とか自分のだらしなさを歌ったものが多いです。」と。
はいはい。分かったってば。

2軒目のジャズを挟んで、3軒目はジョニさんのお薦めの「MATCHBOX」というライブハウスで、京都のブルースシンガー今西太一氏のライブを2セット見ました。
このオッサンの歌とパフォーマンス、凄かったです。
大阪のドヤ街西成を歌った「西成ダウンタウン」が、小生のイメージのブルースそのものでしたが、それ以外は、コミックソングあり、ラブソングあり、旅芸人の日常を歌ったロードソングありと、ジョニさんのコメント通りのいろんな世界が展開されていました。
今西氏は京都のミュージシャンですが、それを熱く一体になって受け入れていたのは、ここ福島の観客でした。


小生の中では、福島=ブルースという図式がすっかり出来上がっていました。
MATCHBOXを出ても興奮冷めやらず、ここまでで相当飲んでいましたが、70才くらいのママサンが一人でやっている小さな居酒屋に飛び込みました。
オバサン相手にブルースの話は出来ず、話題は自然と原発に。
福島市は爆発した原発から北東60Kmくらいのところに位置しますが、爆発当時の風向きが南西であったため、避難指示の出た30Km圏内と同じくらい高い放射能があちことで検出されています。テレビの画面の左と下には常時放射能情報が流れています。
福島市に住んでいる(た)というだけで、イジメにあったり、結婚できなかったりという事例も多々あるようです。
ママサンは、激しい口調で言いました。
「なんで東京の電気を福島で作らないと行けないの。結果、こうして、子供も大人もずっと放射能に怯えて生きていかなくちゃならない。」
小生答えて、
「福島の原発も沖縄の基地も一緒ですわ。弱者に犠牲を強いる権力の構造ですよ。」
オバサン激昂。
「昔、福島は仙台の伊達に国を滅ぼされ、今度は東電と政府に滅ぼされそうになってる。今度は許さないっぺ。」
おー。抑圧された者による怨念の一撃!
ブルースの見方が広がった3日間でしたが、一瞬にして元の考え方に戻りました。
これこそブルースの原点でしょ。
福島原発ブルース。
(以下 オノ・ヨーコ展2011 希望の路)
→これをキャプションとしてつけることが写真掲載の条件になっています。



東北新幹線と山形新幹線が福島で分岐します。つまり、仙台・秋田・青森方面に行くにも山形方面に行くにも福島を通るわけで、このご時勢、震災のみならず原発事故の甚大な被害を受けた福島の復興の一助とするため、仙台や山形に行く時には、必ず福島で降りて泊まって、お金を使うことにしています。
10月頭に福島市に3泊しました。
駅から歩いて5分くらいのところあるブルースライブハウス「なまず亭」に足を運びました。数年前からずっと気になっていたけれど、行けてなかった店です。
以前店の前まで行った時には、地震でビルの内壁が落ちて無残な姿を晒していましたが、数ヶ月を経て、階段や廊下はすっかりきれいになっていました。
中に入ると、薄暗さを含めて、アメリカ南部のライブハウスの雰囲気が広がっていました。小生は、カウンターに座って、ラム酒のロックと「ソウルシチュー」を注文しました。
アメリカの黒人奴隷の料理を「ソウルフード」と呼びます。黒人奴隷は、お金がなく、牛や豚の肉を買うことができなかっため、タンパク源として食べるのは、白人が捨てた牛や豚の内臓や、ネズミやアライグマ等の野生の小動物でした。それらを、野草や畑の片隅で作った豆類と、煮たり炒めたりしたものがソウルフードです。なまず亭版のソウルフードである「ソウルシチュー」は、モツと豆と野菜をチリ(唐辛子)スープで煮込んでありました。
慎重にスプーンですくって、口に入れると、激ウマの味が広がりました。
オーナーのジョニさんは、福島出身で東京の大学を出た後、阿佐ヶ谷で10数年間ブルースライブハウス「ギャングスター」を経営されていたとのことです。その後、家庭の事情で福島に戻られて、この店の経営を10年以上。見た目も語り口もブルースマンです。
カウンターの中には、LPレコード用のターンテーブル3台が並べられ、「ボビー・ブランド」、「レイ・チャールズ」、「バディ・マイルス」、「オーティス・レディング」といったディープなブルースやソウルが次々と流されて行きました。今晩はライブはなくともご機嫌な一夜です。
日本語では、ブルースと発音しますが、正式には「ブルーズ」と濁って発音します。bluesは、blueの複数形。「青」が転じて「憂鬱」「不幸」という意味です。
アフリカから奴隷として連れてこられ、アメリカ南部の綿花畑などで、家畜同然の扱いで働かされた黒人達の憂鬱。それがブルースです。
音楽用語としてのブルースの語源は、1912年にリリースされたW.C.ハンディの「メンフィス・ブルース」と言われています。メンフィスは、19世紀には黒人の割合が6割を超えた綿花の一大集積地でした。
ソウルシチューとラム酒を味わいながら、ジョニさんに「抑圧された者の心の叫び・怨念がブルースですわね。演る方も聴く方も。」
と言うと、ブルースの真髄を極めたジョニさんから意外な答えが返ってきました。
「一概にそうとも言えなくて、喜び、楽しみをリラックスして歌っていることも多いですよ。もちろん恋愛の歌ね。そんなに大げさなものではないです。」
小生としては、黒人奴隷の歴史を起点にして、現代まで連綿と続くアメリカの暴挙に話を広げようとしていた出鼻をくじかれた形になりました。
ブルースと言う事象を、歴史論や社会論で俯瞰するのか、そこに生きていた人達の視点で見るのか両面の見方があるわけで、苦しいか楽しいかの二者択一の議論ではありません。
しかし、ジョニさんの一言により、小生ははっと我に返りました。
ブルースを必要とした人達の人生を置き去りにしたまま、音楽を十把一絡げの社会論だけで語っても仕方がありません。
ブルースの一曲一曲をじっくりと味わい、その歴史の中に身をおいた個々人の顔が見えてこそ、本当の意味での共感が得られ、そこで初めて、社会論を口にする資格ができるのだと。「抑圧された者」という無味乾燥な集合体ではなく、「一人ひとりの顔があり、人生がある。」と表現してもいいでしょう。
そう言えば、小生は8月に広島に見に行った「オノ・ヨーコ展 希望の路」で、評論する側として、同じような気持ちをいだいたことを思い出しました。(同展は本日まで開催されていた模様)
現代美術を通して平和に貢献した人に贈られる第8回ヒロシマ賞をオノ・ヨーコさんが受賞し、「広島・長崎の原爆犠牲者に加え、今年の東日本大震災の犠牲者への鎮魂と未来への希望」を託して、彼女の作品展が行われたのです。
独創性と比喩としての社会メッセージがあふれた作品が並び、驚きの連続でした。その中で、一つだけ気になった作品がありました。
真っ暗な部屋に、広島の街の人々を思わせる高さ1mほどの透明なプラスチック人形が多数並べられています。目が慣れた頃に、原爆の閃光のようなフラッシュが瞬き、狭くなった瞳孔には人形は消え去り、スクリーンに映し出された黒い影と、一体だけ蛍光塗料を塗ってお経が書かれた人形が浮かび上がる仕掛けになっています。
一瞬にして消える人々、高温の熱線によって人の影が転写された銀行の壁、昇天する魂。
原爆投下前後を表現した芸術作品としてのアイデア、テクニックの部分は、感嘆するしかありません。しかし、同じ形の透明なプラスチック人形で、原爆犠牲者を表現し、作品のタイトルは「見えない人々」。
平和祈念公園の原爆死没者追悼祈念館に行けば、亡くなった方々の写真が残されています。非業の死を遂げた人達は、顔も名前もあり、それぞれの人生を生きていた人間であって、決して透明なプラスチック人形のような「見えない人々」ではないのです。
オノ・ヨーコさんの芸術、音楽、そして、夫・故ジョン・レノン氏と長年に渡って行ってきた平和運動は、世界中に大きな影響を与え、もちろん小生も尊敬するけれど、この作品はまずいだろうと思いました。
福島・なまず亭の話に戻ります。
ジョニさんが、明日、明後日と、年に一度の街を挙げての音楽イベントがあると教えてくれました。「福島ミュージックウォークラリー」と銘打ったこのイベント、福島市中の10数ヶ所のライブハウスが時間を合わせて、4セットのステージを行い、観客は一晩1000円でライブハウスのハシゴができて、いろんな音楽を楽しめるという趣旨です。
小生、翌日帰る予定でしたが、もう一泊してこのイベントに参加しました。
スタートは、18時からなまず亭で、「ミッキー&ブルース・ファンデーション」を見ました。リーダーミッキー氏のブルースハープ(ハーモニカ)とヴォーカルが炸裂。
MCで「ブルースの曲の歌詞は、恋愛とか自分のだらしなさを歌ったものが多いです。」と。
はいはい。分かったってば。
2軒目のジャズを挟んで、3軒目はジョニさんのお薦めの「MATCHBOX」というライブハウスで、京都のブルースシンガー今西太一氏のライブを2セット見ました。
このオッサンの歌とパフォーマンス、凄かったです。
大阪のドヤ街西成を歌った「西成ダウンタウン」が、小生のイメージのブルースそのものでしたが、それ以外は、コミックソングあり、ラブソングあり、旅芸人の日常を歌ったロードソングありと、ジョニさんのコメント通りのいろんな世界が展開されていました。
今西氏は京都のミュージシャンですが、それを熱く一体になって受け入れていたのは、ここ福島の観客でした。
小生の中では、福島=ブルースという図式がすっかり出来上がっていました。
MATCHBOXを出ても興奮冷めやらず、ここまでで相当飲んでいましたが、70才くらいのママサンが一人でやっている小さな居酒屋に飛び込みました。
オバサン相手にブルースの話は出来ず、話題は自然と原発に。
福島市は爆発した原発から北東60Kmくらいのところに位置しますが、爆発当時の風向きが南西であったため、避難指示の出た30Km圏内と同じくらい高い放射能があちことで検出されています。テレビの画面の左と下には常時放射能情報が流れています。
福島市に住んでいる(た)というだけで、イジメにあったり、結婚できなかったりという事例も多々あるようです。
ママサンは、激しい口調で言いました。
「なんで東京の電気を福島で作らないと行けないの。結果、こうして、子供も大人もずっと放射能に怯えて生きていかなくちゃならない。」
小生答えて、
「福島の原発も沖縄の基地も一緒ですわ。弱者に犠牲を強いる権力の構造ですよ。」
オバサン激昂。
「昔、福島は仙台の伊達に国を滅ぼされ、今度は東電と政府に滅ぼされそうになってる。今度は許さないっぺ。」
おー。抑圧された者による怨念の一撃!
ブルースの見方が広がった3日間でしたが、一瞬にして元の考え方に戻りました。
これこそブルースの原点でしょ。
福島原発ブルース。
(以下 オノ・ヨーコ展2011 希望の路)
→これをキャプションとしてつけることが写真掲載の条件になっています。



Posted by 猫太郎 at 23:49│Comments(0)
│音楽全般
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。