てぃーだブログ › ネコ灰だらけ › 沖縄音楽アーティスト › 与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」

2011年06月26日

与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」

与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」

与那覇歩ファンの皆様、お待たせいたしました。6月17日、那覇・金城でのライブレポをお届けします。
この日は、綾乃さん、恵美さんも揃い踏みでした。小生が、最初に今回のテーマにしようと思ったのは、「19の春」のMCで暴露された恵美さん19歳の時の大恋愛のことです。「与那覇歩レポ」ながら、サポートメンバーに光を当てるのも悪くありません。実際、綾乃さんのことを扱った小生のブログ記事「高峰山の麓にて」は、一連の与那覇歩シリーズの中でも、上位のアクセス数を記録しています。

ライブ終了後、恵美さんへの突撃取材を試み、詳細を聞き出そうとしましたが、本人の口が堅くて、なかかな聞き出せません。
「その時の人が猫太郎さんのブログを見ていたら困るから。」
「見てるはずがないやんか~。固定読者50人くらいしか見てないし、たまたま見つけても、だらだら長く書いてるから読まないって。」
「いやいや、絶対見てますって。」
「見てると言うことは、固定読者の一人? 小生の知っている人?ちゅうことは、○○さんとか?ええっ?ホンマかいな?!」
などとやっているうちに、静岡ライブの作戦ミーティングがあるとかで(実は恵美さんを酔っ払いオヤジから救い出すための言い訳か)、歩さんからお呼びがかかり、取材時間切れ。
これではブログ記事は書けません。恵美さんについては、また次の機会を狙うとして、今日はやはり歩さんにスポットを当てたいと思います。慰霊の日をまたいでいますし、1年ぶりに反戦ネタで行きます。テーマは1年前の「与那覇歩と負の沖縄」に対し、「与那覇歩と悪魔の島」です。


まずは、ライブ全体のレビューをしておきます。
前回の大新ライブとうって変わって、メジャーコードのアップテンポの曲が中心です。オープニングの「てぃんさぐの花」は途中からアップテンポになるし、「19の春」や「安里屋ゆんた」はポップスアレンジだし、「赤田首里殿内」「おじー自慢のオリオンビール」「唄が生まれる」「バイバイ沖縄」あたりのご機嫌なナンバーも小生にとっては久しぶりの披露でした。
歩さんは声の調子がすごく良くて、地元でリラックスしている様子。
こちらも身構えずにリラックスして聴いていると、普段気がつかないところが、いろいろ見えてきます。

お気づきでしたか? 小生は歩さんの歌唱をホメまくっていますが、三線のプレーについては一度も言及したことがないことを。今日はその三線がいいです。アップの曲にカンカラと硬い音色が絡みついて行きます。水溜まりの上を跳ねる雨粒のような躍動感があります。
綾乃さんのギターもいい。細かいところまで実に丁寧。堅実なプレーが多いのでややもすれば一本調子になり勝ちだったのが、抑揚が絶妙です。音色にも膨らみと輝きがあります。さすが毎日数時間練習を積んでいるだけのことはあって、格段の成長ですわ。

アップテンポのメジャーコード曲が多いと、逆に際立つのがスローなマイナーコード曲です。
ホテルカリフォルニアを髣髴とさせるギターアルペジオからの「童神」、恵美さんの返しが切ない「どぅなんスンカニ」、そして毎回聴いている気がするけれど、意外にも金城では2度目の「愛燦燦」。前回の記事でも取り上げたこの曲、すっかり歩さんの身体の一部と化して、魂が乗り移っているようです。今日もベストに近い出来でしょう。

そして、今回のハイライトは「花」でした。
歩さんは先月、中東(アラブ)のアブダビ、ドバイ、クウェートでライブを行いました。それについて、この日少しだけ語ってくれました。
「唄は国境を超えます。肌の色や宗教が違っても、同じ人間ですから、いい唄はみんなの心に響きます。会場の皆さんは、涙を流しながら「花」を聴いてくれました。中東は戦争で大変ですが、砂漠に花を咲かせたいと願って歌いました。」
心がこもり、気合が入りまくりです。最高の歩節!!真骨頂!
綾乃さんのアルペジオが素晴らしい。「泣きなさい」のサビメロを追っかける恵美さんが、切ない。

先月本家本元の某オジサンのライブを観ましたが、本家よりも断然いいです。今日はそのことを語るのは本意ではありませんが、本家のオジサンは、歌手としてもエンターテイナーとしても政治家としても、もう役目は終わったのではないかと思った次第です。今がこうだからといって、彼の偉大さが否定されるものではありません。世界60ヵ国で3000万枚を売ったメガヒット「花」。それ以上に、沖縄の究極の1曲といえば、小生は「ハイサイオジサン」を挙げます。本当に素晴らしいミュージシャンでした。(過去形ですんません。)

与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」

本家オジサンはMCで基地問題に一切触れませんでしたが、政治家なのだから、ちゃんと観光客相手にも語る義務があると思います。(福島の政敵の悪口を客にグチグチ言ってても仕方がないでしょ。)
沖縄の基地は、つまるところ、アメリカがアジアから中東にまでニラミを効かすために存在しています。
何のために?
フセインが「大量破壊兵器を持っている」という理由で、ブッシュ政権はイラクへの侵攻を開始しました。
大量破壊兵器は見つかりましたか?なかったですよね。スーパー大量破壊兵器を持って、世界の平和を乱しているのは、あなたの方でしょ!
侵攻の結果、何が変わったって?
世界4位の埋蔵量を誇るイラクの油田の採掘権が、欧米の石油メジャーの手に、見事再編されました。
それって、本来イラク国民のものじゃないの?
だって、イラクが大量破壊兵器を持ってたから、罰として油田をいただきます。
え~!もう一度訊くけど、大量破壊兵器は見つかったの?
見つからなかったけど、まあいいじゃないの。みんな忘れて水に流しましょ。

巨大多国籍企業や金融資本が、石油、石炭、ウラン、鉱物、レアメタル、金やダイヤモンド、穀物、水資源等、こういうものの巨大な利権を押さえておくのに、軍隊は間違いなく必要です。歴史が語っているように、いつ人民のものなってしまうか、あるいは、いつ対抗勢力の手に落ちるか不安で仕方がないですから。
巨大資本は、メディアをも支配下においているので、選挙すらコントロールして、自分達の都合のいいように政府を形成し、そこに群がる政治家、役人、軍人、普通の資本家、普通の会社と共に利権構図を作り上げています。もちろん元締めが圧倒的に儲かる仕組みであることに間違いはありません。

2003年のアメリカのイラク侵攻、その後の占領の結果、少なくとも10万人のイラク人が殺されたと言われています。統計によっては、数十万人から100万人との報告もあります。一番多いのは、アメリカ軍の無差別空爆による死者です。
2003年「ファルージャの虐殺」と呼ばれるアメリカ軍の攻撃では、一般人の集まる市場やモスクが標的になり、死者731人、負傷者2847人(総合病院の統計)を数えました。その攻撃に加わったのは、沖縄辺野古のキャンプ・シュワブから派遣された海兵隊の部隊でした。中東での戦争と沖縄の基地問題は、決して無縁ではありません。

イラクでは(クウェートでも)、劣化ウラン弾が使用されました。劣化ウラン弾は原発や原爆用の核分裂性ウランを精製した後の核廃棄物から作られます。ウランは比重が鉛の2倍あるので、砲弾は戦車やビルの破壊力に優れています。
劣化ウラン弾が国土の広い範囲で使用され、放射能がばら撒かれたため、イラクでは、2003年以降、奇形などの出生異常が多発しています。2009年ファルージャ総合病院では、170人の新生児が生まれましたが、24パーセントは生後7日間の間に亡くなり、死んだ幼児の75パーセントは、奇形だったとのことです。もちろん、これから成人のガンや白血病も多発していくことでしょう。
そして、2001年当時、40万発もの劣化ウラン弾が嘉手納基地に保管されていた事実が明らかになっています。また、劣化ウラン弾の発射訓練は、90年代久米島の北の鳥島射爆場で行われていました。


小生は今回の訪沖で、三たび東村高江のヘリパット反対運動のテント村に足を運びました。その週ヘリパッド工事のための重機が運び込まれるかも知れないということで、地元の人や若者のボランティアによって、24時間体制の監視が続けられていました。
テントにいた20代前半の女性と1時間ばかり話をしました。意志の強そうな太い眉、メガネの奥の聡明そうな目。若いのに基地問題だけでなく、原発事故についても、沖縄の雇用問題についても、きちっとした議論のできるしっかりした女性でした。

与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」

その彼女が小生に向かって放った言葉が、胸に突き刺さりました。
「ここ沖縄から、中東や中央アジアに軍隊が行き、人々が殺されていく。彼らから見たら、沖縄ってきっと『悪魔の島』ですよね。何で島の人は止めてくれないんだって思っているでしょうね。」
ベトナム戦争当時よく使われた言葉、沖縄は「悪魔の島」。沖縄から、毎日のようにベトナムに向かってB-52が飛び立ち、戦争終結までに300万人が戦禍により亡くなりました。

小生カブリを振って、彼女の言葉を制しました。
「ウチナーンチュがそんなことを言ってはダメだよ。悪魔とは、他人の命や生活より、自分の利権や利益が大切だと思っている人間のことを言うんだよ。他人の痛みや悲しみが分からない無神経な人間のことさ。アジア人やアラブ人を同じ人間だと思っていないんだろうね。そして、そういうことに無関心でいる人も悪魔に近いかも知れない。多くのヤマトンチュは、沖縄=海としか思ってない。」

そう言って、前の晩の与那覇歩さんのMCと熱唱を思い出しました。
「同じ人間だから、唄は国境を越えて、人の心に響きます。」
人は人として涙を流し、その涙は一体どこへ行くのでしょうか。
6月23日は慰霊の日でした。60数年前ここ沖縄で20万人の人が亡くなりました。その反省もむなしく、沖縄も関係する形で、ベトナムで300万人が死に、今なおイラクでアフガンで血が流されて続けています。

中東の砂漠に花は咲くのでしょうか。
新しいフェンスが作られた辺野古の砂浜には、一縷の希望をつなぐように、小さな花が咲いていました。
テント村の女性や歩さんのようなごく当たり前の眼差しを持った人が、少しずつでも増えていけば、きっと世の中は変わっていくと思います。

与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」


与那覇歩ライブレポ「砂漠の花」



同じカテゴリー(沖縄音楽アーティスト)の記事
尖閣でトニーそばを
尖閣でトニーそばを(2013-02-27 22:30)


この記事へのコメント
私も与那覇歩さんと同郷与那国出身です!島の人が頑張ってる姿見ると嬉しいですね!
Posted by ふがらっさ at 2011年06月30日 00:22
コメント、気がつかずに、遅レスすみません。
歩さんは、最近ますますご活躍ですね。
小生は与那国出身ではありませんが、嬉しい限りです。
ふがらっささんも、元気でご活躍下さい。
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2011年07月18日 00:56
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。