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2011年05月28日

背番号55 雨中の仁王立ち

小生プロ野球はほとんど見ません。
どこのファンと尋ねられれば「阪神タイガースファン」と答えるのですが、タイガースを本当に好きだったのは、村山、江夏、田淵、藤田平、カークランドらが活躍した遥か昔のことです。「読売」=「体制」に対する「反体制」としての存在が気に入っていたのです。
その後1985年の20年ぶりの優勝に狂喜乱舞したもの、長い低迷期の後、読売と同じ金満体質=「体制」になっていく過程で、タイガースにもプロ野球にも興味を失って行ったのでした。

そうは言っても、いつクビになるか分からない人生そのものを賭ける選手達がいて、かなりのエネルギーと情熱を注ぎ込んで観戦するファンがいて、そこには悲喜こもごもの人間ドラマがあるわけで、そこにスポットライトを当てると、野球の試合以上に面白いドラマが見えて来ることは小生も承知しています。新聞に連載されている藤島大のスポーツエッセイなどは、このような視点から毎回なかなか秀逸です。

さかのぼること、4月17日。
小生は沖縄のノロを束ねるという奥武山の沖宮の取材をしておりました。野球場(セルラースタジアム那覇)の方が何やら騒がしいので、5分ほどの道のりを歩いて行ってみると、今まさに「読売vsソフトバンク」の2軍戦が行われようとしていました。

背番号55 雨中の仁王立ち

2軍戦というのが何とも興味をそそります。
脚光を浴びてプロに入ってきた、いわば挫折を知らない野球エリートの若者達が、遠い遠征地において、いかなる思いでプレーしようとしているのか、それを観察すべくチケットを購入してしまいました。午後の予定は全てキャンセルです。

アンチ読売の小生、ソフトバンク側の内野席に行くと、目の前のサードのポジションに、2008年ドラフト1位の「大田泰示」がいました。ソフトバンクとの競合のためクジ引により、鳴り物入りで読売入りしたものの、過去2年間1軍では1本もヒットを打っていませんでした。松井秀喜の後を受けた背番号55。原辰徳2世などと言われながら、ずっとくすぶっているのは、彼としても不本意に違いありません。

背番号55 雨中の仁王立ち

試合は1回表から、ソフトバンク打線が爆発。柳田(10年ドラフト2位。大田と同郷)のホームランで幕を開け、3番江川(05年育成ドラフト1位)、4番小斉(04年ドラフト1位)の連続2塁打で、3点を先制。2回には、またまたヒットと四球を連ねて満塁とした後、ドカンと一発、江川の満塁ホームラン!!2回表にして7-0。

背番号55 雨中の仁王立ち

一方の読売は、1回に4番大田の打席が回って来たものの、外角低目のスライダーにあえなく空振り三振。全くいいところのないまま、2回裏の攻撃に移ったところで、本格的な降雨となり、30分の中断の後に、ついに雨天ノーゲームとなったのでした。

背番号55 雨中の仁王立ち

背番号55 雨中の仁王立ち

ここまでの出来事で観戦レポを書くなら、大田と同じ背番号55を背負った相手の4番「小斉祐輔」にスポットを当てるでしょう。大学時代は無名。ドラフト前からスターであった大田と対照的に、育成ドラフトで入団した苦労人です。しかし、2軍戦とは言え、同じ4番。同じ背番号55。その対比がドラマを生みます。
あるいは、ユーモア路線で観戦レポを綴るなら、ボールが潰れんばかりのもの凄い2塁打とホームランをかっ飛ばした3番「江川智晃」のことを中心に書きます。なぜ彼がこの沖縄の地で大活躍できたか?! 守り神を背負っているからです。背番号43。すなわちシーサー!

しかし、試合中止のアナウンス後も、ドラマは続いたのです。
大田がベンチの最前列で腕を組んだまま仁王立ちで、池のようになったグラウンドをじっと見つめているのです。他の選手が次々ロッカールームに引き上げる中、彼は動こうとしません。
「試合が中止になってラッキー。これから沖縄観光でもしよう。」と思った選手もいるはずです。しかし、彼は違います。よほど、試合を続けたかったのでしょう。長時間かけて東京から那覇までやってきて、三振ひとつ。1回でも多くの打席に立ちたかったのです。今日1日が無駄になれば、1軍への道は1日ではなく1週間も1ヶ月も遠くなります。
50人近い選手がいて、引き上げるのが最後。すなわち、試合をしたいという執念は50人の中で一番強かったということ意味します。その時すでに、スタンドで泡盛数杯を飲んでいた小生は相当酔っていましたが、「コイツはなかなか気骨がある若手だ。」と強い印象が刻まれたのでした。

背番号55 雨中の仁王立ち

5月25日、その印象が小生を東京ドームに足を運ばせました。
カードはあの時と同じ「読売vsソフトバンク」。ただし言うまでもなく1軍戦です。その数日前にプロ初ヒットを放った大田は、スターティングメンバーの1番に名前を連ねていました。
1番大田は、1回の打席でソフトバンクのエース和田からいきなりのライト前ヒット。5回にはプロ入り初の長打となる会心のツーベースヒットを左中間に放って、4打数2安打。守備でもファインプレーが飛び出して、彼自身1軍でやっていけそうな手応えを感じたことでしょう。
小生には、1ヶ月前に雨中で仁王立ちしたあの執念が、2年間鳴かず飛ばずだった彼をここに導いたかのように思えました。

背番号55 雨中の仁王立ち


背番号55 雨中の仁王立ち

2軍戦ではベンチの真ん中に座って、始終回りの選手に話しかけていたのが、1軍ではベンチの端っこが彼の定位置です。先輩選手は誰も声をかけてくれません。ピッチャー交代時の円陣にも一人だけ入りにくそうでした。
まあ若手はそういうものです。活躍を重ねるに従って、先輩達に認められ、声をかけられ、座る位置も真ん中の方に移って行くことでしょう。

背番号55 雨中の仁王立ち


背番号55 雨中の仁王立ち

那覇の2軍戦に出場していた選手が、この日大田以外に2人出ていました。今や大田以上のレギュラー、読売の2番藤村(07年ドラフト1位)と、ピンチヒッターで犠打を決めたソフトバンクの中村(07年ドラフト3位)です。
才能を持った若い選手が、次々と出てきます。一人入場すれば一人退場しなければならない非情なプロの世界。ファンの方も薄情なもので、新しいスターが誕生すると、古びた星のことなど忘れ去ってしまします。(音楽の世界もか?!)

いやいや。本当に感慨深いのは、勝者の数以上に存在する敗者の方の人生なのではないでしょうか。
那覇で太田の100倍鮮烈な輝きを放った背番号55番小斉や、シーサー江川はどうしているのでしょう。?
暑くなる日差しの中、汗と泥にまみれながら、ノックを受けているのでしょうか。
それを言うなら、2008年ドラフト、ソフトバンクが大田の外れ1位で指名した巽慎吾投手はどうしているのでしょうか?
2軍にも帯同できずに3軍で悶々としているのでしょうか。
もう野球をやめたいと思ってはないでしょうか。

光の当たらない多くの選手の人生を巻き込みながら、あるいは大田泰示の雨中の仁王立ちのことなど誰も知る由もなく、金満球団の傲慢さはますます加速しながら、興行は今日も騒々しく進行して行くのでした。

背番号55 雨中の仁王立ち




Posted by 猫太郎 at 22:29│Comments(0)スポーツ
 
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