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2010年10月28日

「諸行無常の響きあり」丸子太鼓ライブレポ

10月23日に信州の山奥にある鹿教湯温泉に行きました。
開湯以来1200年以上の歴史を持つ静かな温泉郷です。山肌に日本三大文殊とされる古い文殊菩薩堂があり、紅葉にはまだ少し早いものの、緑が黄色に染まり始めたまだら模様の山もまたなかなかの風情です。【写真2】

とは言うものの、その日は仕事があって、宿に入ったのはとっぷりと日が暮れた18時半。宿に入るなり、長沢まさみ似の若女将が小生に向かって言いました。
「お客さん、今日は19時半から近くの公民館で和太鼓のコンサートがありますよ。」
小生、温泉街のアトラクションにはあまり期待できないと思いながらも、興味ありの口ぶりで返答しました。
「ほほう。それは行かなくちゃ。こう見えても小生は3歳から太鼓を叩いてますからね。では、すぐ夕食にして下さい。お風呂は後で入ります。」
山から採ってきたと思われるおいしいきのこの鍋など、品数の多い夕食を速攻で平らげ、酔っ払って公民館に出かけました。【写真3】

地元の人と旅行客で、事前に並べてあったパイプ椅子はほぼ満席。
地元の丸子太鼓がメインアクトで、名古屋の高六太鼓が前座です。両団体を指導(プロデュース?)しているのが、鬼太鼓座に在籍していたこともある吉村城太郎氏で、氏の指導を一緒に受けるために、高六太鼓が名古屋から遠征して来たとのことでした。

丸子太鼓は「木曽義仲出陣太鼓」とも名乗っています。【写真4】
木曽義仲すなわち源義仲は、父源義賢が伯父源義朝に殺された後、都から逃れ木曽の山中に身を隠していましたが、1181年に打倒平家を掲げ京に向け挙兵したのが、この地なのです。(正確には、少し南で挙兵し、ここで増兵では?)命名から、出陣太鼓の勇ましさがオーバーラップします。

その丸子太鼓のパフォーマンス。
温泉街のアトラクションと油断して臨んだのは大間違い。結構本格的なのです。20代30代を中心とした20名程の編成で、挙兵太鼓の別名に恥じない迫力の演奏を繰り広げます。
一聴して、よく鍛錬されています。数名のバンドですら、きちっとした構成の演奏をしようと思えば、集中力を伴ったかなりの練習が必要です。音楽的なバックボーンのないアマチュアの大集団において、これだけ乱れのないアンサンブルを組み立てるのは、容易なことではありません。1曲あたり数ヶ月単位の練習になるはずで、まずはそこに脱帽です。
そして、何より、若者達が力を振り絞り、叫び声を上げ、汗を流している様子を見るのは、実にすがすがしいものです。生のエネルギーの眩しいばかりの輝きとでも言いましょうか。感動的です。【写真1&5~7】

しかしながら、これだけのパフォーマンスを繰り広げるポテンシャルを目の当たりにすると、太鼓奏者である小生にもムクムクと欲が出てきます。少しグチと要望を言ってみますね。
複式複打法と言えど、根幹のリズムがあくまで直線的でしなやかさに欠けるのがやや不満です。後ろで鳴っているのが、8ビートの一定のリズムで、4の倍数のキッチリした予定調和な譜割りが面白みを半減させています。
鬼太鼓座が商業的に成功して以来「創作和太鼓」という音楽の一ジャンルが確立されましたが、小生が聴く限り多くのグループがこの罠に陥っています。

しかし、一たび打楽器演奏の歴史を紐解けば、更なる高みの音空間を造るために、先人達がいろんな知恵を絞り、技を生み出しています。
例えば、アフリカのリズムの基本中の基本である(狭義の)ポリリズム。4拍子と3拍子(あるいは3連符)が交錯することによって、強烈なグルーブを生み出します。その概念を拡大した広義の「ヘテロフォニー」(複層リズム)は、エキサイティングな打楽器曲に必須の要素と思われます。
表層でどれだけ変化をつけても、背後で鳴っているリズムが一定だと、曲全体が平板なものになってしまいます。インドネシアのガムランやケチャで聴かれるように、小節の長さやアクセントの位置をランダムに変えて行くのも、聴衆をハッとさせる効果的な技法です。

小生、現代音楽も好きですが、例えば手元にこのような一枚のCDがあります。【写真8】テリー・ライリーやフィリップ・グラスらと並ぶミニマルミュージックの巨匠、スティーブ・ライヒの1971年の作品で、丸子太鼓と同じくらいの人数で演奏される、その名もズバリ「Drumming(=太鼓の演奏)」です。
このCDの中で、彼が得意とする「漸次位相変位プロセス」や「漸次持続拡大」といったリズムの魔法が次々と駆使され、聞き手を完全に異次元の世界に誘います。蟻地獄のような恐ろしさです。

あるいは、これまた全然違うジャンルですが、新宿ピットイン(昼の部)で時々やっている、外山明(Dr)と大儀見元(Perc)(exディアマンテス)の打楽器DUOが即興で作り出す音楽も、パターンが全く読めなくてもの凄いです。玄人にもウケる音楽なので、客席にもプロのミュージシャンをしばしば目撃します。

そうそう。丸子太鼓の演奏においても、「雨」という女性4人の演奏には、驚かされました。【写真9】これは、背後にある8ビートというか、単調な4つ打ちのビートを逆手に取った斬新なコンセプトです。
あくまで一定のリズムを死守しながらも、強弱と4つのポジションでのパターンの組合せをどんどん変化させて、小雨から土砂降りまで、多彩な情景を表現していきます。70年代初頭のジャーマンロック、例えば、ノイやラ・デュッセルドルフのハンマービートに近く、これをシンセでやれば、クラフトワーク(パフュームにつながる譜系)になるのではと感じた次第です。


話は変わりますが、挙兵した木曽義仲がその後どうなかったかを少しだけ追っかけてみましょう。
1183年5月11日、京に向け北陸路を行進する3万の義仲軍を討つべく、越中国砺波山の倶利伽羅峠で待ち受ける平維盛軍。その数なんと10万。義仲は牛300頭を集め、その角に松明をくくりつけ、山中で待ち受ける平家軍めがけて一挙に突進させた!【写真10】目の前の松明に興奮し突撃する牛の軍団。その巨躯には矢も刀も立たない。次々に谷底に突き落とされる平家軍。阿鼻驚嘆の図が繰り広げられる。嗚呼。牛の松明から火が燃え移った平家の陣地はもはや混乱するのみ。満を持して雄たけびを上げ攻め込む義仲軍。♪ベベンベンベン(琵琶法師の語る平家物語風に)瞬く間に雌雄が決し、平家軍は全滅と相成る~~~、ベンベンベン♪ かくして、向かうところ敵なしであった平家軍が、ここに初めて源氏に大敗を喫したのである。
諸行無常の響きあり、盛者必衰の理(ことわり)あり~!ベン!!

20数年ぶりに源氏の旗を掲げて入京した義仲。京の町を我が物顔で闊歩していた平家を都から追い出すものの、皇位継承に口を挟むなど平家に代わって後白河法皇(院政の時代だから法皇の方が天皇より権力あり)の怒りを買い、後に鎌倉幕府を開く源頼朝が差し向けた義経軍に討たれてしまいました。享年31歳。

後白河法皇とのからみで、てぃーだブログにふさわしいネタに言及すれば、遡ること20数年前。後白河法皇が現役の天皇であった頃、法皇の座を巡って後白河天皇と対立したのが、崇徳上皇でした。崇徳上皇側に大将として雇われたのが源為義。その子は為朝。
平清盛率いる後白河天皇軍と激しい戦を展開するも、崇徳上皇軍は敗退。大将の為義は斬首の刑に処され、為朝は伊豆大島に流刑になりました。
琉球王国の正史『中山世鑑』や公選の歌集である『おもろさうし』が語るところによれば、伊豆七島を支配した為朝が渡った先が琉球であり、その子が初代琉球王舜天になったということです。小生は単なる伝説と思いますが、運天港近くには「為朝上陸の碑」が建てられています。【写真11】

最後の「為朝伝説」は別にして、平家の台頭から「平家にあらずは人にあらず」と言われた栄華、そしてその滅亡までの人間模様を、源氏や貴族との対比で見事に描き切った偉大な文学にして、琵琶法師が演ずる偉大な音楽の金字塔が「平家物語」です。
その作者は不詳ですが、一説には、親鸞の高弟で、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子「海野幸長」とされています。あまりに奇遇なことですが、彼は木曽義仲の軍師だった人です。


丸子太鼓の話に戻りましょう。
丸子太鼓は「木曽義仲挙兵太鼓」と銘打っていますが、もっと大きな歴史的必然性や地理的必然性にこだわって、もっと大きな音楽的インパクトを演出するためには、一つの名案があります。
鬼太鼓座の後塵を拝するような音楽をやるのではなく、琵琶奏者も入れて「平家物語太鼓」を創作したらいいのではと思うのですが、いかがでしょうか。オリジナリティは高く、かなりカッコいい音楽ができると思います。

祇園精舎の鐘の声~  ドンドコドンドコ!
諸行無常の響きあり~ ドンドコドンドコ!!


「諸行無常の響きあり」丸子太鼓ライブレポ

「諸行無常の響きあり」丸子太鼓ライブレポ

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Posted by 猫太郎 at 01:24│Comments(2)音楽全般
この記事へのコメント
鹿教湯温泉、昨年、旅行雑誌の取材で行きました。
こぢんまりして、静かで、居心地がよいところでしたー。

こんなイベントをやっているんですね。知らなかった。
この温泉の女将さんたちは、
観光客向けに路線バスでのボランティアガイドを行ったり
さまざまなイベントを企画したりしているらしく、
とても好感がも持てるところでした。


そばもおいしかったなあ〜。
うおー、温泉浸かりたいぞー!!!!!
Posted by ちあき at 2010年11月09日 20:01
>ちあきさん

返事が遅れてすみません。
次の記事に書きましたが、諸事情でブログをお休みしていました。

小生もここ数年温泉好きになり、山奥の静かな温泉地に時々出かけております。今の紅葉、これからの雪景色も、いいですね~。

いわゆるにぎやかな歓楽温泉街は好きではありませんが、かの地でシーサーズのライブがあるのなら、静かでなくても文句は言いません!!
Posted by 猫太郎猫太郎 at 2010年11月14日 14:33
 
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