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2010年08月18日

「soul of どんと2010」ライブレポ

 野音。信じられないほどの酷暑。回りの森は蝉の声。
 コンクリートのベンチは焼かれて熱い。日はまだ高い。
 満員の会場。人々の興奮による加熱。
 誰かが飛ばすシャボン玉が、発生する上昇気流のため落ちてこない。
 そして、死者が地上に帰るというというお盆。彼の10周忌。


8月15日、「soul of どんと 2010 復活!10周年SPECIAL!」を観るべく、日比谷野外音楽堂に足を運びました。

小生はどんととは、同郷にして、同じ時期に同じ軽音楽部所属、大学の学科も隣同士でした。彼の出た高校の女の子と付き合っていたこともあります。
小生は今も変わらずしがないアマチュアミュージシャンをやってますが、ヤツはあっと言う間に、メジャーデビューして、CDを何枚も出して、大きなホールを満員にして、海外ツアーまでやるようになりました。
そして、人気絶頂の95年、突然バンドを解散して、沖縄に隠遁しました。
沖縄に移り住んで5年経った2000年、旅先のハワイにて急逝。享年37歳でした。

くも膜下出血との発表でしたが、ドラッグのオーバードーズとの噂もありました。「ラッキンロール」「ラリってインド」「ナイトトリッパー」「Junky Cowboy Blues」等、ドラッグを連想させる歌が並び、彼自身「アムステルダムで永井とフワラーチルドレンになった」と告白しています。

彼の死からしばらくして、小生は彼の死因と沖縄での足跡を探るために、生まれて初めて沖縄の地に降り立ちました。
死因については結局分かりませんでしたが、そこで遭遇したのは、沖縄のありとあらゆる音楽関係者が彼と知り合いで、声をそろえて「いい人だった。」と評する姿でした。コザのライブハウスでも、那覇の民謡酒場でも、首里のそば屋でもです。大城美佐子先生から彼の思い出話を夜通し聞かされたこともあります。

沖縄に5年しかいなかったのに、一体なんなんだ、これは?!
そもそもローザルクセンブルグやボガンボスが、なぜここまで人気が出たのか当時は理解できていませんでした。
ミュージシャンは得てして自分の専門と異なる領域には非常に冷たく接する傾向があります。小生の専門は、プログレ、ジャズロック、エスニックであり、彼のやってきたシンプルなロックンロールやニューオリンズロックには、入り口で拒否反応がありました。

彼が死んで初めて彼の音楽を先入観なく聴いてみました。
曲想がシンプルゆえに、どんとの個性や人柄が浮き上がって聴こえてきます。
一言でいって、素晴らしい!!
ミュージシャンはまず第一に個性ありきです。そして、人柄と別物の研ぎ澄まされた芸も悪くないですが、もっとカッコいいのは芸にその人の人生が投影されているケースです。
ジョンレノンを見よ。ミックジャガーを見よ。ボブマーリーを見よ。
決して歌がうまいとは言えませんが、生き様が、思想が、魂が歌に込められています。どんともそういうタイプのミュージシャンですね。

そこはかとなく漂う疎外感、それゆえ気が狂わんばかりのパフォーマンス。
もし彼がドラッグに溺れていたとしても、それを正当化する気は毛頭ないですが、彼の疎外感ゆえ分かる気がします。
虚飾がない。生きることに不器用。痛々しいばかりの実直さ。
それが、人々の心を打ち、10年経って当人がいなくても、大会場を老若男女で一杯にできるのでしょうね。

彼がボガンボスの絶頂期に、なぜ輝かしい栄光と濡れ手に粟の稼ぎを捨てて、沖縄に引きこもったのか。さとうきびを栽培しながら、一人気ままに沖縄のライブハウスで歌っていたか。彼は著書の中で以下のように述べています。
『俺は沖縄へ流れ着いた。やっと落ち着ける場所を見つけたんだ。ボガンボスは大きくなりすぎてどこへも行けなくなってしまった。まるで穴に入って、大きくなりすぎた山椒魚のようになってしまった。穴の中で死ぬより、穴を抜け出して生きていくことを選ぼう。これからは俺一人でやっていくんだ。ビジネスなんか必要ないのだ。レコード会社なんか金食い虫だ。』


そろそろ、日比谷の野音に戻ります。(写真1=カメラは禁止で携帯撮影)
なんという豪華なメンバー、なんという贅沢な宴でしょう!!
バンドメンバーと出演者をざっと列挙してみましょう。

バンドは、Dr.kyOn(Key/G)、永井利充(B)、岡地曙裕(Dr)、玉城宏志(G)、小関純匡(Dr)、佐橋佳幸(G)、うつみようこ(Cho)、ラキタ(G)。さらには、東京スカパラダイスオーケストラのホーンセクション。
向かって右がローザサイド、左がガンボサイドで、どんとと最も親しく付き合っていた人たちです。Dr.kyOnは、小生にとっては「川上さん」と呼んでしまう、大学の軽音部の当時の部長でした。ラキタはどんとと小島さちほさんの長男で首里高校卒の20歳。れっきとしたウチナーンチュです。

一曲ずつ歌ったゲスト出演者もすごい。出演順に並べてみます。
佐藤ダイジ(THEATRE BROOK)、Leyona、湯川潮音、浜崎貴司(FLYING KIDS)、松たか子、中納良恵(EGO-WRAPPIN')、曽我部恵一(サニーデイ・サービス)、SANDII、原田郁子(クラムボン)、宮沢和史(THE BOOM)、岸田繁(くるり)、ユースケサンタマリア、ハナレグミ、NOKKO、泉谷しげる、奥田民夫、YO-KING、そして2006年の「soul of どんと」のビデオ出演で故忌野清志郎。全員参加の前のスペシャルユニットで延原達治(THE PRIVATES)。

いやはや、現在のJ-Rockの縮図ですな。
酔っ払って踊っていれば、ご機嫌そのもの。しかし、小生は冷静です。
楽曲がシンプルなだけに、歌い手の力量が、個性が、そして精神性が問われます。
往年のどんとの歌と拮抗して歌えたのは、NOKKO、SANDII、楽曲(夢の中)のよさにも助けられてハナレグミ、そして圧巻のビデオ出演、忌野清志郎くらいではないでしょうか。
後のメンバーは豪華で、そこそこは上手いのだけれど、残念ながら、蝉の抜け殻みたいで、魂の叫びが伝わって来ない。今日はどんとの弔いの日なんですよ。お盆で帰ってきたどんとの魂を、ちゃんと彼の苦悩を理解して、魂の叫びで返してほしい。奥田も泉谷もいつもの自分のスタイルで歌っているだけじゃん。

と思って、ハタと気がつきました。
これは、彼が嫌って逃げた世界そのものではないか。
大きくなりすぎた山椒魚のようになってしまった金食い虫の音楽ビジネスそのものでないか。
猛暑の熱気のため落ちて来ないシャボン玉のように、金食い虫の喧騒のため、どんとの魂はここには降りて来ないに違いない。

忌野清志郎がスクリーンで、どんとの曲「孤独な詩人」を歌っていました。
孤独な詩人とは、どんと自身のことを指しているのは明白です。

  誰も聴いてはくれないでしょう
  聴いておくれ 悲しい歌を
  遠い異国の旅の歌を
  空に舞い散る夢の歌を
 
  いつかは誰かが足を止めるさ
  そして目を開けたら人の群れが
  歌を聴こうと待っていました

  どこへ歩いていくのでしょう
  一人ぼっちでギターを弾くよ
  風に吹かれて花の歌を
  声にならない虫の歌を

  明日は空も晴れてくれるさ
  そして目を開けたら舞台の上
  
  フラリ倒れて友達や仲間達が
  ボンヤリ浮かんで消えた
  星になったのさ あいつは
  星になったのさ あいつは
  星になったのさ あいつは (リフレイン)


孤独な詩人、孤独なシンガー。
そして、自分の死を予言したかのような歌。

嗚呼!チクショー!
10周忌なのに、山椒魚のようなビジネスイベントでは、彼の魂は浮かばれはしない。
彼の魂は、彼が愛して安らぎを覚えた沖縄に降りてしかるべきだ。
あの玉城村の八角堂(写真2)がふさわしいが、ちょっと遠すぎる。

小生、同郷のよしみで、年に1~2回彼のお墓参りに行っています。
今回も翌日に慌てて行きました。
沖縄のお供えものがないか家捜ししたら、「ちんすこう」がありました。どんとがちんすこうを好きだったかどうか分かりませんが、とりあえず彼が愛した、彼が安らぎを覚えた沖縄ゆかりの品です。
ちんすこうを供えて(写真3、4)、小生手を合わせました。

「昨日は騒いでごめん。天国で『遠い異国の旅の歌を、空に舞い散る夢の歌を、声にならない虫の歌』を歌って下さい。ファンにはちゃんと届きますから。」

「soul of どんと2010」ライブレポ

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