2010年10月08日
シーサーズライブレポ@ピースカーニバル2010
10月3日に東京青山で行われた「東京~沖縄ピースカーニバル2010」というイベントに足を運びました。実行委員の一人は、小生が最も好きなミュージシャンの一人であるクラリネット奏者大熊ワタル氏です。
全体を貫くテーマは「反戦・反基地」。15時前から22時過ぎまでの長時間にわたり、ライブや映画、トークショー、NPOのプレゼンが行われました。
小生は辺野古には何度も行っておりますが、2週間前に初めてやんばる東村高江のヘリパッド反対運動の現場に行った行ったところであり【写真2】、今回のテーマの一つであったヘリパッド移設問題について、連続でタイミングよく勉強することができました。
イベントの概要と大熊氏の檄文をHPから転記しておきます。
============================
沖縄に基地はいらない!
世界中どこにも基地はいらない!
沖縄から 東京から LOVE & PEACEの連鎖を !
沖縄に押し付けられた「基地問題」は、日米政府の問題。
日米安保50年の今年、東京でこそNOの声を!
音楽・トーク・映像の力で、国境を越えた平和を作りだそう!
NO BASE! MORE MUSIC!
『沖縄?東京 ピースカーニバル2010』
【出演】
大熊ワタル(ジンタらムータ)
うつみようこ+河村博司(ex;ソウル・フラワー・ユニオン)
GoRo,MAYA & ISH! IGURO
寿[kotobuki]
シーサーズ
たける
MONK BEAT
Likkle Mai(Band Style)
【映像】
小林アツシ「基地はいらない、どこにも」
比嘉真人「やんばるからのメッセージ」
【出展】
ゆんたく高江、他
【トーク】
金平茂紀(TBS)
============================
高密度にして長時間のイベントであり、見どころ、聴きどころ、感じるところが満載でした。小生の時間さえあれば、イベントレポを10報以上お届けできるところですが、残念ながらそのような時間がとれないため、最も感銘を受けた「シーサーズ」【写真1】のレポに絞って皆様にお届けいたします。
シーザーズは、昨年メンバーが亡くなられたこともあって、今は持田明美さんと今沢千秋さんの2人組で、都内ライブハウスを中心に活動されています。彼女らがレギュラーで出演していた浅草のライブハウスで名前や写真は見ていたのですが、ライブを見る機会はありませんでした。
大熊氏のバンド「ジンタらムータ」がトリというものの、主催者ゆえのトリという要素もあるでしょうから、実質トリと解釈しました。彼女らのただ者ではないイデタチからも、期待が高まります。
一曲目からこのイベントにふさしい仕掛け!「艦砲射撃の食い残し」です。
読谷村出身で、妻子を対馬丸撃沈事件、大阪空襲で亡くした比嘉恒敏さんの作で、恒敏さんが再婚後生まれた娘の「でいご娘」が歌って有名になった曲です。恒敏さんはその後米軍のトラックとの交通事故で亡くなられました。
歌詞の日本語訳を「たる一」さんのHPから抜粋転記します。
============================
若い時は戦争の世の中。
若い花は咲くことが出来なかった。
家もご先祖様も親兄弟も、艦砲射撃の的になり、
着るもの食べるものも全くなかった。
ソテツを食べて暮らしたよ。
あなたもわたしも、君も僕も艦砲の食い残し。
私の親を食べたあの戦争。私の故郷を食べたあの艦砲射撃。
生まれ変わっても忘れることができようか。
誰があのようなことをしはじめたのか。
恨んでも悔やんでも飽きたりない。
子孫末代まで遺言したい。
============================
恒敏さんの実体験に基づくあまりに重い歌を、シーサーズは感情を排除するがごとく淡々と歌い、それがかえって我々の胸に苦しく迫って来ます。一生を戦争に翻弄された恒敏さん。そういう人生が、沖縄にあるいは世界中の戦地に数多く存在することが、Likkle Maiの音楽で踊るためにここに来た若者には届いたでしょうか。
2曲目もやってくれました!
伊江島の野里竹松さんが作った「あめりかぬ花」。
1953年、米軍は「土地収用令」を公布して、沖縄全県下で農民の土地を接収、伊江島でも米軍はブルトーザーで住宅や畑を壊し、そこに住んでいた人を一方的に追い払い、飛行機から新型爆弾投下訓練を行う射爆場を建設しました。
島民は「乞食行進」を行い100人以上の逮捕者を出しながら、全県を歩き世論に訴えました。土地接収、米軍演習の中で、多くの犠牲者を出す苦しみを乗り越え、1964年に「伊江島土地を守る会」を結成するとともに、「団結道場」を真謝に建設し、戦いを引き継ぐ多くの青年を教育して来たのでした。(以上伊江村HPを参照)
小生、ヘリパッドの後に、これまたつい2週間前にこの団結道場を訪れたところであり【写真3】、あまりの偶然にビックリしたのでした。
団結道場の壁にも歌詞が書かれていた「アメリカの花」。【写真4】
基地のすぐ前にある竹松さんの家に咲く鶏頭の花を米兵達は欲しがりました。竹松さんはこの歌を英語で紙に書いて花と一緒にプレゼントしました。島の人々を「土地に頼って生きる花」にたとえ、米兵に土地返還を求める島民の気持ちを理解してもらおうとしたのです。
そういえば、5月には慶留間島で伊江村民収容地跡記念碑を見ました。島に残った人も大変でしたが、強制移住させられて人たちも当然収容先でも大変な苦労があったかと察するに余りあります。
「アメリカの花」歌詞を「忘暮楼」さんのHPより転記させていただきます。(上の文章も一部抜粋)
=============================
一
アメリカぬ 花ん (アメリカの 花も)
まじゃばるん 花ん (真謝の畑の 花も)
ちち たゆてぃ さちゃる (土に頼って 咲いている)
はなぬ ちゅらさ (花の 美しさよ)
ちち たゆてぃ さちゃる(土に頼って 咲いている)
はなぬ ちゅらさ (花の 美しさよ)
ニ
ひんすうやぬ にわん(貧相な家の 庭の)
かにむちぬ にわん (金持ちの 庭も)
いらばずに さちゃる(選ばずに 咲いている)
はなぬ みぐとぅ (花の 見事さよ)
いらばずに さちゃる(選ばずに 咲いている)
はなぬ みぐとぅ (花の 見事さよ)
=============================
シーサーズの歌は、シンプルにして雑念がありません。声質も虚飾なし。それゆえ、作者や当事者の思いや苦悩がストレートに伝わります。素晴らしい。
横で若者達がおしゃべりをしています。
聴け!若者!
酒は飲まずにいられないが、無駄話はやめろ!!
お前らの敬愛するミュージシャンが「歌で世界に平和を!」とか「戦争の代わりに踊りを!」とか「みんな仲良く手を取り合って!」とか歌う心意気やよし。しかし、具体性のない空論か、青臭い理念か、若干の悪意を持って言うなら、平和を叫ぶことが単なるファッション、エエカッコシイになっていないか。
今目の前で歌われている歌々こそ、真の説得力を持った反戦歌だ。
真の体験を伴った魂の叫びだ。苦しみ、悲しみに満ちた慈愛の唄だ。
聴け!若者!この歌を。酒を飲まずにはいられないが。
戦争の暗部を次々あぶり出すように、シーザーズの歌はまだまだ続きます。
同じく竹松さんの「陳情行軍」。上で説明した「乞食行軍」の歌です。
続いては、「軍歌」でなく、下級兵士の中で歌い継がれていた反兵隊歌「かわいいスーちゃん」。この歌はなんと19の春の原曲でもあります。その素朴な兵士達も、例えば映画「南京 引き裂かれた記憶」で明らかにされるように、行く先々の村で婦女子へ強姦、暴行を繰り返す鬼畜に変貌するのです。まあ、全員ではないでしょうが。
そして、小生にとってハイライト、瞽女の門付唄「かわいがらんせ」の登場です。
瞽女とは、室町時代を発祥として20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き歌った盲目の女性旅芸人(集団)のことです。小生、数年前に柏崎原発の取材に行った時に偶然出向いた「葛の葉会」の公演【写真5】で、瞽女唄を知り、感動のあまり、しばらく追求していたことがありました。
最後の瞽女であり、国の重要無形文化財に指定された故小林ハルさんの伝記を読み、CDを何枚も買い、最後の住処であった新潟県胎内村の老人ホームに行ってきました。【写真6】新発田市の教育委員会が文化財保存のために出してる200枚組(総額30~40万円ほど)のCDセットは、さすがに買えませんでしたが。
彼女達の人生は凄まじいもので、盲人数人の団体で歩く距離は生涯で数十万Kmにもなると言います。雪深い土地ゆえ旅の途中で凍死したり、谷に滑落したりする人もありました。宴の後、性的な暴力を受けることもありました。彼女達は盲目でしたが、優れた芸能者であったため、差別の対象であり聖なる対象であったわけです。芸能の源流の一つにして、庶民が芸能者に対していだく思いの普遍的かつ典型的な例であったと言えます。
三線が2拍子でまるでループトラックのように刻まれます。おお、ミニマル!
持田さんが主旋律を歌い、千秋さんが、ハモリ、オブリガート、コール&レスポンスで追いかけます。「ソリャ」という掛け小声で一体になったかと思えば、すっと離れる。素晴らしい掛け合い。そして、盲人の暗闇。
「鳥さえ鳴かない山中で咲く千本桜」「(暗い湿地に咲く)カキツバタでなく(明るい乾地に咲く)アヤメやユリになりたい」という歌詞は、瞽女達自身のことを歌ったものに他なりません。
瞽女唄と沖縄とどう関係があるかって? 当然あります。
社会の歪は、マイノリティ(少数派)や弱者に押し付けられるのです。
多くの場合、権力によって。時に庶民の無意識の意識によって。日本のマイノリティゆえに沖縄に押し付けられた地上戦や基地。
それを改めて聴衆に突きつけるシーサース。
彼女達はピースカーニバルの趣旨に最も忠実なグループなのでした。拍手!!
全体を貫くテーマは「反戦・反基地」。15時前から22時過ぎまでの長時間にわたり、ライブや映画、トークショー、NPOのプレゼンが行われました。
小生は辺野古には何度も行っておりますが、2週間前に初めてやんばる東村高江のヘリパッド反対運動の現場に行った行ったところであり【写真2】、今回のテーマの一つであったヘリパッド移設問題について、連続でタイミングよく勉強することができました。
イベントの概要と大熊氏の檄文をHPから転記しておきます。
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沖縄に基地はいらない!
世界中どこにも基地はいらない!
沖縄から 東京から LOVE & PEACEの連鎖を !
沖縄に押し付けられた「基地問題」は、日米政府の問題。
日米安保50年の今年、東京でこそNOの声を!
音楽・トーク・映像の力で、国境を越えた平和を作りだそう!
NO BASE! MORE MUSIC!
『沖縄?東京 ピースカーニバル2010』
【出演】
大熊ワタル(ジンタらムータ)
うつみようこ+河村博司(ex;ソウル・フラワー・ユニオン)
GoRo,MAYA & ISH! IGURO
寿[kotobuki]
シーサーズ
たける
MONK BEAT
Likkle Mai(Band Style)
【映像】
小林アツシ「基地はいらない、どこにも」
比嘉真人「やんばるからのメッセージ」
【出展】
ゆんたく高江、他
【トーク】
金平茂紀(TBS)
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高密度にして長時間のイベントであり、見どころ、聴きどころ、感じるところが満載でした。小生の時間さえあれば、イベントレポを10報以上お届けできるところですが、残念ながらそのような時間がとれないため、最も感銘を受けた「シーサーズ」【写真1】のレポに絞って皆様にお届けいたします。
シーザーズは、昨年メンバーが亡くなられたこともあって、今は持田明美さんと今沢千秋さんの2人組で、都内ライブハウスを中心に活動されています。彼女らがレギュラーで出演していた浅草のライブハウスで名前や写真は見ていたのですが、ライブを見る機会はありませんでした。
大熊氏のバンド「ジンタらムータ」がトリというものの、主催者ゆえのトリという要素もあるでしょうから、実質トリと解釈しました。彼女らのただ者ではないイデタチからも、期待が高まります。
一曲目からこのイベントにふさしい仕掛け!「艦砲射撃の食い残し」です。
読谷村出身で、妻子を対馬丸撃沈事件、大阪空襲で亡くした比嘉恒敏さんの作で、恒敏さんが再婚後生まれた娘の「でいご娘」が歌って有名になった曲です。恒敏さんはその後米軍のトラックとの交通事故で亡くなられました。
歌詞の日本語訳を「たる一」さんのHPから抜粋転記します。
============================
若い時は戦争の世の中。
若い花は咲くことが出来なかった。
家もご先祖様も親兄弟も、艦砲射撃の的になり、
着るもの食べるものも全くなかった。
ソテツを食べて暮らしたよ。
あなたもわたしも、君も僕も艦砲の食い残し。
私の親を食べたあの戦争。私の故郷を食べたあの艦砲射撃。
生まれ変わっても忘れることができようか。
誰があのようなことをしはじめたのか。
恨んでも悔やんでも飽きたりない。
子孫末代まで遺言したい。
============================
恒敏さんの実体験に基づくあまりに重い歌を、シーサーズは感情を排除するがごとく淡々と歌い、それがかえって我々の胸に苦しく迫って来ます。一生を戦争に翻弄された恒敏さん。そういう人生が、沖縄にあるいは世界中の戦地に数多く存在することが、Likkle Maiの音楽で踊るためにここに来た若者には届いたでしょうか。
2曲目もやってくれました!
伊江島の野里竹松さんが作った「あめりかぬ花」。
1953年、米軍は「土地収用令」を公布して、沖縄全県下で農民の土地を接収、伊江島でも米軍はブルトーザーで住宅や畑を壊し、そこに住んでいた人を一方的に追い払い、飛行機から新型爆弾投下訓練を行う射爆場を建設しました。
島民は「乞食行進」を行い100人以上の逮捕者を出しながら、全県を歩き世論に訴えました。土地接収、米軍演習の中で、多くの犠牲者を出す苦しみを乗り越え、1964年に「伊江島土地を守る会」を結成するとともに、「団結道場」を真謝に建設し、戦いを引き継ぐ多くの青年を教育して来たのでした。(以上伊江村HPを参照)
小生、ヘリパッドの後に、これまたつい2週間前にこの団結道場を訪れたところであり【写真3】、あまりの偶然にビックリしたのでした。
団結道場の壁にも歌詞が書かれていた「アメリカの花」。【写真4】
基地のすぐ前にある竹松さんの家に咲く鶏頭の花を米兵達は欲しがりました。竹松さんはこの歌を英語で紙に書いて花と一緒にプレゼントしました。島の人々を「土地に頼って生きる花」にたとえ、米兵に土地返還を求める島民の気持ちを理解してもらおうとしたのです。
そういえば、5月には慶留間島で伊江村民収容地跡記念碑を見ました。島に残った人も大変でしたが、強制移住させられて人たちも当然収容先でも大変な苦労があったかと察するに余りあります。
「アメリカの花」歌詞を「忘暮楼」さんのHPより転記させていただきます。(上の文章も一部抜粋)
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一
アメリカぬ 花ん (アメリカの 花も)
まじゃばるん 花ん (真謝の畑の 花も)
ちち たゆてぃ さちゃる (土に頼って 咲いている)
はなぬ ちゅらさ (花の 美しさよ)
ちち たゆてぃ さちゃる(土に頼って 咲いている)
はなぬ ちゅらさ (花の 美しさよ)
ニ
ひんすうやぬ にわん(貧相な家の 庭の)
かにむちぬ にわん (金持ちの 庭も)
いらばずに さちゃる(選ばずに 咲いている)
はなぬ みぐとぅ (花の 見事さよ)
いらばずに さちゃる(選ばずに 咲いている)
はなぬ みぐとぅ (花の 見事さよ)
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シーサーズの歌は、シンプルにして雑念がありません。声質も虚飾なし。それゆえ、作者や当事者の思いや苦悩がストレートに伝わります。素晴らしい。
横で若者達がおしゃべりをしています。
聴け!若者!
酒は飲まずにいられないが、無駄話はやめろ!!
お前らの敬愛するミュージシャンが「歌で世界に平和を!」とか「戦争の代わりに踊りを!」とか「みんな仲良く手を取り合って!」とか歌う心意気やよし。しかし、具体性のない空論か、青臭い理念か、若干の悪意を持って言うなら、平和を叫ぶことが単なるファッション、エエカッコシイになっていないか。
今目の前で歌われている歌々こそ、真の説得力を持った反戦歌だ。
真の体験を伴った魂の叫びだ。苦しみ、悲しみに満ちた慈愛の唄だ。
聴け!若者!この歌を。酒を飲まずにはいられないが。
戦争の暗部を次々あぶり出すように、シーザーズの歌はまだまだ続きます。
同じく竹松さんの「陳情行軍」。上で説明した「乞食行軍」の歌です。
続いては、「軍歌」でなく、下級兵士の中で歌い継がれていた反兵隊歌「かわいいスーちゃん」。この歌はなんと19の春の原曲でもあります。その素朴な兵士達も、例えば映画「南京 引き裂かれた記憶」で明らかにされるように、行く先々の村で婦女子へ強姦、暴行を繰り返す鬼畜に変貌するのです。まあ、全員ではないでしょうが。
そして、小生にとってハイライト、瞽女の門付唄「かわいがらんせ」の登場です。
瞽女とは、室町時代を発祥として20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線を弾き歌った盲目の女性旅芸人(集団)のことです。小生、数年前に柏崎原発の取材に行った時に偶然出向いた「葛の葉会」の公演【写真5】で、瞽女唄を知り、感動のあまり、しばらく追求していたことがありました。
最後の瞽女であり、国の重要無形文化財に指定された故小林ハルさんの伝記を読み、CDを何枚も買い、最後の住処であった新潟県胎内村の老人ホームに行ってきました。【写真6】新発田市の教育委員会が文化財保存のために出してる200枚組(総額30~40万円ほど)のCDセットは、さすがに買えませんでしたが。
彼女達の人生は凄まじいもので、盲人数人の団体で歩く距離は生涯で数十万Kmにもなると言います。雪深い土地ゆえ旅の途中で凍死したり、谷に滑落したりする人もありました。宴の後、性的な暴力を受けることもありました。彼女達は盲目でしたが、優れた芸能者であったため、差別の対象であり聖なる対象であったわけです。芸能の源流の一つにして、庶民が芸能者に対していだく思いの普遍的かつ典型的な例であったと言えます。
三線が2拍子でまるでループトラックのように刻まれます。おお、ミニマル!
持田さんが主旋律を歌い、千秋さんが、ハモリ、オブリガート、コール&レスポンスで追いかけます。「ソリャ」という掛け小声で一体になったかと思えば、すっと離れる。素晴らしい掛け合い。そして、盲人の暗闇。
「鳥さえ鳴かない山中で咲く千本桜」「(暗い湿地に咲く)カキツバタでなく(明るい乾地に咲く)アヤメやユリになりたい」という歌詞は、瞽女達自身のことを歌ったものに他なりません。
瞽女唄と沖縄とどう関係があるかって? 当然あります。
社会の歪は、マイノリティ(少数派)や弱者に押し付けられるのです。
多くの場合、権力によって。時に庶民の無意識の意識によって。日本のマイノリティゆえに沖縄に押し付けられた地上戦や基地。
それを改めて聴衆に突きつけるシーサース。
彼女達はピースカーニバルの趣旨に最も忠実なグループなのでした。拍手!!
Posted by 猫太郎 at 01:01│Comments(2)
│沖縄音楽アーティスト
この記事へのコメント
今頃は新潟にいらっしゃるのでしょうか?
詳細なるレポートありがとうございます……。
自分では意識していないところまで、
深く掘り下げていただき、うれしいやら、はずかしいやら、まことに恐縮です。
私も伊江島の団結小屋に行かないといかんな、
そう思いました。
また、次回、お会いできたらうれしいです〜!!!
詳細なるレポートありがとうございます……。
自分では意識していないところまで、
深く掘り下げていただき、うれしいやら、はずかしいやら、まことに恐縮です。
私も伊江島の団結小屋に行かないといかんな、
そう思いました。
また、次回、お会いできたらうれしいです〜!!!
Posted by ちあき at 2010年10月09日 13:52
>シーサーズちあきさん
コメありがとうございます。
今日は仕事が近くであり、以下のイベントに行こうと思っていたわけです。早朝というか未明に車で出ました。
「瞽女唄街道 in雁木」
2010年10月9日(土)
13:30スタート 15:45頃終了予定
会場:雁木通り各所(新潟県上越市高田駅周辺)
出演:月岡祐紀子
瞽女さん(の芸の伝承者)が門付けして回るイベントです。いいでしょう!「かわいがらんせ」もやるかもでした。
ところが、仕事の時間の調整がつかず、近くにいるのに、行けずにおります。かなり残念〜(x_x)
今仕事の会場で、携帯打ってます。(サボれない場合の内職も得意!)
明日門前仲町で恒例の瞽女唄イベントがありますが、こちらに留まって、佐渡島にでも渡るか思案中です(@_@;)
なんせ、毎日その日暮らしなもんで(*^O^*)
コメありがとうございます。
今日は仕事が近くであり、以下のイベントに行こうと思っていたわけです。早朝というか未明に車で出ました。
「瞽女唄街道 in雁木」
2010年10月9日(土)
13:30スタート 15:45頃終了予定
会場:雁木通り各所(新潟県上越市高田駅周辺)
出演:月岡祐紀子
瞽女さん(の芸の伝承者)が門付けして回るイベントです。いいでしょう!「かわいがらんせ」もやるかもでした。
ところが、仕事の時間の調整がつかず、近くにいるのに、行けずにおります。かなり残念〜(x_x)
今仕事の会場で、携帯打ってます。(サボれない場合の内職も得意!)
明日門前仲町で恒例の瞽女唄イベントがありますが、こちらに留まって、佐渡島にでも渡るか思案中です(@_@;)
なんせ、毎日その日暮らしなもんで(*^O^*)
Posted by 猫太郎 at 2010年10月09日 15:50